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鉄鋼・非鉄金属スレッド

2255荷主研究者:2021/09/11(土) 11:57:21

https://www.chugoku-np.co.jp/localeco/article/article.php?comment_id=787008&comment_sub_id=0&category_id=113
2021/8/26 21:53 中国新聞
中国地方で初、誇らしく 熱との闘い、戦場を想起【消える鉄の灯 日鉄呉 高炉休止まで1カ月】<中>火入れの記憶

火入れから60年を目前に、9月末で役割を終える第1高炉(撮影・高橋洋史)

 「万歳、万歳」の歓声とともに、拍手が鳴り響く。1962年6月2日、前日に火入れした日新製鋼呉工場(現日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区、呉市)の高炉から、オレンジレッドに輝く初出銑(しゅっせん)の鉄が流れ出た。中国地方に初めてともった近代製鉄の「鉄の灯(ひ)」だった。

 現場で感激に浸った元社員の笹川晴州(はるくに)さん(79)=呉市=は、前年の61年に入社。この年、高炉の技術習得のため八幡製鉄所(北九州市)に派遣された一人だ。岩国工業高を卒業したばかりの19歳。八幡では、炉体のれんがの隙間から噴き出す青白い炎に驚いた。耐熱服を着ていても「熱いというか痛い。まさに戦場だった」。

 高炉は、石炭を蒸し焼きにしたコークスと鉄鉱石を千度を超す高温で熱し、鉄製品の原料となる銑鉄を生み出す設備だ。一度火を入れれば、稼働は24時間。従業員は熱と闘いながら交代で見守る。「一人前の高炉屋になってやろうじゃないか」。実習の地で、笹川さんは強い気概を抱いた。

 ▽山崩し設備増強

 呉では高炉の建設工事が進んでいた。呉湾に臨む鍋山を切り崩し、敷地を造成。海岸を埋め立て、鉄鉱石などを運ぶ船のための埠頭(ふとう)も造った。容積894立方メートルの高炉1基に加え、関連の発電所や焼結工場なども整備された。

 60年代初頭、日本経済は金融引き締めにかじを切っていた。当時の岡田儀一社長は社内誌で「設備増強のため多額の投資を必要とし、資金的に非常な困難を味わっている」と打ち明ける。一方で「(高炉稼働で)コストダウンが可能になり、競争力は著しい飛躍をみることになる」と期待を寄せた。

 笹川さんは1年間の実習を終え、呉で火入れと初出銑に立ち会う。空にそびえる真新しい白銀色の高炉が「誇らしかったね」。トラブル時には会社に泊まり込むことも。同僚と対応を話し合い、手書きのマニュアルを作った。66年には第2高炉が稼働した。

 ▽「わが子のよう」

 約40年間の現役時代のほとんどを高炉畑で働いた笹川さん。「高炉は生き物」と実感を込める。改修を重ねて容積も増え、火入れから59年を経た呉地区の高炉は「間もなく還暦を迎えるわが子のよう」。9月末、既に休止した第2高炉に続いて第1高炉の火が止まる日には、OB仲間と船を出して海から別れを告げるつもりだ。(東谷和平)


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