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鉄鋼・非鉄金属スレッド
2227
:
とはずがたり
:2021/04/13(火) 21:23:30
最盛期は1956(S31)から1961(S36)迄とされているが,昭和32年度版専用線一覧にその記載はなく,昭和26年度版専用線一覧だと会津田島に別子鉱業(株)の専用線がある。
当時,昭和26年当時会津線は滝ノ原に至って居らず(S9田島迄,S22荒海迄,S28滝ノ原迄開通),田島に積み込み施設があったのか?最盛期には既にトラック輸送に転換されていたというのか?
八総鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%B7%8F%E9%89%B1%E5%B1%B1
八総鉱山(やそうこうざん)は、かつて福島県南会津郡の田島町および舘岩村(現南会津町)に所在した鉱山である。
本格的な操業は終戦後で、住友金属鉱山が1949年(昭和24年)に買収して翌年に開発に着手、旧舘岩村側の旧八総鉱山と旧田島町側の旧滝ノ原鉱山を通洞坑で結び、旧田島町側に選鉱場を設けた。以後主として銅山として経営され、ほかに鉛、亜鉛、硫化鉄を産出した。
最盛期は1956年(昭和31年)から1961年(昭和36年)までで、この期間の年間平均生産粗鉱量は約16万トンに達した。この時期の従業員は500名以上であり、家族を含めると約2,300名が居住し、田島町立八総鉱山小学校が設置される[1]ほどに栄えた。1970年(昭和45年)7月に終掘[2]し、9月に閉山した。その翌年、小学校も廃校となった。
場所は此処。
https://www.google.co.jp/maps/@37.060796,139.6593749,16z?hl=ja
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