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鉄鋼・非鉄金属スレッド
1472
:
とはずがたり
:2015/11/10(火) 21:09:39
『鉄道廃線跡を歩くII』に拠ると茅野から蓼科高原迄鉄山搬出鉄道が敷かれていたそうな。
ビーナスライン(道路)が線路跡で終着が花蒔とのことだからこの辺迄?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.12.56.063N36.1.43.944&ZM=8
僅か半年で撤去されたそうだが観光鉄道として残ってたら面白かったのにぃ。。
鉄道廃線跡を歩くに寄ると(花蒔での索道からの?)積み替えが想定通り行かず鉄道も殆ど機能を果たさなかったそうで,終戦直前の何をやってもダメなのび太君状態の大混乱の皇国の様子が目に浮かぶが,二重三重に勿体ない話しである。それにしても積み替えが想定通りに行かないとはどんな状況なんやろか??また線路の撤去はS22でS37に日本鋼管から地元に払い下げられたとのこと。S20からS22迄は運休扱いということか?鉄山は何があっても復活の可能性は無いのかねぇ(;´Д`)
「諏訪鉄山跡を巡る」
2015年5月6日 / by masakiyamanaka
http://masaki-yamanaka.net/?p=2042
信州・蓼科と言えば、首都圏・中部・関西からも至近の避暑地。本州有数の観光リゾート地として有名ですね。
GWを利用して開催された、この地の歴史を辿る「諏訪鉄山跡を巡る」ツアーに参加してきました。諏訪と言っても、諏訪市や上諏訪町ではありません。茅野市の北山。観光的に言うと、蓼科です。
戦前の昭和12年に、良質の鉄鉱石が出るということで、日本鋼管(株)によって採掘が始まった諏訪鉄山。戦時中昭和17年には、花蒔〜石遊場間4.6kmの索道が完成。19年には、中央本線茅野駅から花蒔駅(写真1)まで専用鉄道が敷設されました。 20年には、イギリス人等の捕虜も採鉱作業に従事。しかし終戦で、22年には引き込み線は全面撤去されます。
戦後は、産業構造の変化により、鉄山の採算性が落ち、28年には規模を縮小。一方で、27年には人工湖である蓼科湖が完成するなど、観光事業への転換が計られます。昭和38年にはついに閉山。同年、鉄山鉄道跡に自動車道路ビーナスラインが竣工し、鉱山跡地の別荘地開発が始まります。
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