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鉄鋼・非鉄金属スレッド
1381
:
荷主研究者
:2015/03/21(土) 22:27:17
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150305_12013.html
2015年03月05日木曜日 河北新報
<再生に挑む>震災前より1割増産/日鉄住金建材仙台製造所(仙台市)
津波避難タワーの前で震災時の状況を説明する平山所長
◎敷地内に津波避難タワー建設
体育館をいくつもつなげたような広大な工場を、クレーンにつられた長大なパイプが行き交う。「従業員数も生産量も、震災前より1割以上増えた」。平山憲司所長は誇らしげに語る。
震災前からあった6インチと16インチのラインに加え、昨年6月にパイプ型のガードレールなどに使う細身の鋼材を製造する2インチラインを新設した。3月には照明柱などに使う変形パイプを造るスピニング機が動きだす。
震災の壊滅的な被害を乗り越え、工場は大きく成長した。
<東の拠点工場に>
三つのラインとスピニング機が稼働するのは、同社主力の広畑製造所(兵庫県姫路市)と同じ規模だ。増田規一郎社長(当時)は2インチラインの完成式で「東の仙台、西の広畑と、わが社の二大拠点ができた」と胸を張った。
仙台港に隣接する工場は高さ8メートルを超す津波が襲った。従業員約70人と周辺の住民約40人は、場内にある高さ10メートルの築山に逃げて夜を明かした。
一夜明け、水が引いた工場はがれきの山に埋もれていた。「二度とここでは働けないと思った」と平山所長。諦めかけた従業員の心に、増田社長の言葉が火を付ける。
「東北のために、絶対に1年で工場を元に戻しなさい」。言葉通り、8月の電力復旧と同時に6インチのラインを起動。仮設住宅の建設などに使う鋼管の生産を再開した。1年後の2012年には16インチのラインを復旧させた。
<被災経験後世へ>
甚大な被害を受けた工場でさえ、震災の風化が懸念される時期に来ている。転勤などで、被災を知らない従業員は全体の2割近くになった。平山所長は「被災経験をいかに後世に伝えるかが課題」と語る。
工場では地元消防や周辺住民にも参加を呼び掛け、大規模な避難訓練を定期的に実施している。敷地内には12年3月、高さ7.8メートルの避難タワーを建設した。3月に仙台で開催する国連防災世界会議では、各国の参加者のスタディーツアーでも取り上げられる。
災害公営住宅の建設が本格化するなど、復興のステージは土木から建設に移りつつある。平山所長は「東北唯一の角形鋼管を製造する工場として、必要な建設資材を切れ目なく供給することが地域への恩返しになる」と力を込める。(報道部・安住健郎)
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