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鉄鋼・非鉄金属スレッド
1066
:
とはずがたり
:2012/12/04(火) 23:04:07
むつ製鉄の失敗を荒唐無稽で失敗したと思ってたけどそうでもなくて,時宜を得なかったんですねぇ。まぁ三菱とかが絡んでいるからそもそも荒唐無稽ではあり得ないんだけど。
この書き方だと大湊田名部市がむつ市になったのもむつ製鉄に引っ張られた感もあるけどどうなんだろ。
砂鉄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E9%89%84
砂鉄(さてつ、iron sand)は、岩石中に含まれる磁鉄鉱等が風化の過程で母岩から分離し、運搬過程で淘汰集積したもの。
主に磁鉄鉱、チタン鉄鉱よりなる。磁鉄鉱を含むため、磁石に吸いつく。
風化、堆積の過程の違いにより、残留鉱床あるいは漂砂鉱床をなす。漂砂鉱床は海岸あるいは川岸など平坦地に堆積したものである。
不純物のチタンのため高炉による製鉄には不向きである。かつて製鉄所などで、原料の国産化を図るため高炉で製鉄する実験が行われたが、出銑口に詰まりが多発し、近代製鉄原料には不向きなことが知られている。
日本においては、西日本(とくに中国地方)で古くから山砂鉄が採掘された一方、太平洋戦争前後には東日本の漂砂鉱床で砂鉄鉱山の開発が見られた。北海道、青森県(淋代海岸)、千葉県などで漂砂鉱床が採掘されており、磁力選鉱で純度を高めた上で近隣の製鉄所に運ばれた。東日本の砂鉄はチタンを含有している場合も多く、地下資源が逼迫する中、チタンの原料鉱石としても用いられていた。時代の趨勢によって現在は全ての砂鉄鉱山が閉山している。
日本では太平洋岸よりも日本海岸の方が良質の砂鉄が採れるとされる。
東北開発
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E9%96%8B%E7%99%BA
砂鉄事業(むつ製鉄)
直営事業とはならなかったが、東北開発社の歴史を語る上で忘れてならないのが砂鉄事業である。
青森県下北地域は、太平洋戦争以前にも当該地で産出される砂鉄を精錬する事業所(日本特殊鋼管)が立地し、戦後は東北砂鉄鋼業が立地、さらに1954年(昭和29年)の通商産業省未利用鉄資源調査委員会において、青森県内で国内全体の約4割、下北地域だけで国内全体の約2割という砂鉄埋蔵量が報告されていたことから、有効活用を目指したものである。そのため、1957年(昭和32年)に東北開発社が再発足した際に選定された5大基幹事業の一つに砂鉄利用工業を掲げ、1958年(昭和33年)から調査活動が開始、青森県下北地区に銑鋼一貫方式による特殊鋼工場の建設を目指した。その後、砂鉄鉱区の取得、精錬方式の決定等を経て1962年(昭和37年)7月には三菱グループ( 三菱鉱業・三菱製鋼・三菱鋼材 ・東北砂鉄鋼業(昭和32年より三菱鉱業の傘下となる))との提携覚書が締結され、1963年(昭和38年)3月に総理大臣の認可を受けて、同年4月に資本金5億円で「むつ製鉄株式会社」が設立された。本社は東京都千代田区大手町に置かれ、事業所は青森県むつ市に設置することとなっていた。
しかし、1961年(昭和36年)をピークに砂鉄銑の需要は減り始めており、代わって高炉銑による安価で良質の鋼が出回り始めていた。このような情勢から数次に渡り実施計画が見直されたが、いずれも企業化は困難であるとして1964年(昭和39年)11月三菱グループが撤退を表明するに至り、1965年(昭和40年)4月むつ製鉄事業推進断念の閣議了解がなされ、むつ製鉄は解散した。また事業断念と同時に、三菱鉱業社長から東北開発社の第二代総裁となっていた伊藤保次郎が辞任している。
事業予定地だったむつ市は、1959年(昭和34年)9月に市制施行しており、新市の長期構想における大きな柱として位置付けられた当該事業の受け皿として、大湊港下北ふ頭の岸壁整備をはじめ、三本松団地(現:中央団地)や平井団地(現:昭和団地)、むつ工業高等学校や大平中学校等のインフラが昭和30年代後半に相次いで整備され、また自噴井による個々の施設しかなかった田名部地区の上水道もこの時期に事業開始された。また、初代むつ市長となった杉山勝雄は、当該事業の進捗に支障となることを危惧して、それまでの無所属(日本社会党系:国政野党)から自由民主党(国政与党)に入党している。 しかし、当社は設立から僅か2年で解散となり、その間むつ市での実質的な事業活動はほとんどなく、経済波及効果はほとんどないまま事業中止となったことから、当該事業に代わる事業の誘致活動が行われた結果、1966年(昭和41年)5月アツギむつナイロン株式会社が発足(東北開発が4割出資)、翌昭和42年3月よりむつ市で操業開始、現在に至っている。
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