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民主党スレッド

6089チバQ:2009/12/29(火) 12:42:54
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/sonogo/news/200912/CK2009122902000131.html
民主大勝で新人議員大量当選(栃木県) 『難病患者のため』挑戦続く
2009年12月29日

所属する農林水産常任委員会の政策会議に臨む玉木氏=15日、衆議院で


 「十分な審議を尽くさないまま採決を強行をしたり…。まるで伏魔殿です」

 政権交代の風に乗り、大量の民主党新人議員が誕生してから三カ月余。比例北関東ブロックで初当選し、期待と不安を胸に政界に飛び込んだ玉木朝子氏(57)にとっても手探りの毎日が続く。

 栃木県難病団体連絡協議会会長を務める玉木氏は、自身も難病患者。高校時代、免疫異常から発熱や関節炎、内臓障害を引き起こす膠原(こうげん)病の全身性エリテマトーデス(SLE)を発症した。以来、四十年にわたり闘病生活を続ける一方、患者の生活向上を目指して奔走している。

 本来なら選挙活動をする余力などない体だが、偶然と幸運が重なって国会の赤じゅうたんを踏むことになった。

 公示まで二週間を切った八月上旬、「民主優勢」との報道に党本部は急きょ、全国で比例単独候補を大幅に増やすことを決めた。ところが、国会議員としての資質を持った候補者はなかなかいない。頭を悩ませていた党県連が思い至ったのが、玉木氏。名簿三十五位という下位登載ながら、最後の最後で滑り込んだ。

 早速、新人ならではの“失敗”があった。九月、新人が班ごとに指導を受ける会議が衆院で開かれた。終了後に部屋に戻ろうとして「道に迷い、参院まで行ってしまった」。すれ違う見学の小学生の「先生こんにちはー」というあいさつに笑顔を返しつつ、迷路のような国会の中を、必死になって帰り道を探した。

 事前に思い描いていた通りにはいかないことも知った。「専門分野を生かしたい」と、厚生労働委員会を所属する常任委員会の第一志望にした。ところが四倍ともいわれる競争率の前に、決まったのは第二志望の農林水産委と、決算行政監視委。「私は知名度がないし、比例単独で優先度も低いから…」と最初は落ち込んだが、「どちらも重要な委員会。素人なので一から勉強しなければ」と気を引き締め直した。

 議員になってからの一日は朝の新人研修に始まり、日中は国会や党の会議や勉強会がびっしり。週の半分は夜の会合に顔を出す。勉強する時間は、国会と地元とを往復する新幹線の中だけだ。

 そんな玉木氏の最大の不安は体調の激変。完治する病気ではないSLEは体力の消耗が著しい。同じ病気だった妹は十代で亡くなった。看護師を秘書にして万全の態勢で臨むものの、毎日飲んでいるステロイドの副作用から心臓の発作が起き、会議を途中退出したこともあった。

 ただ、「難病患者のために何かしたい」という思いは日に日に強くなっている。これまでの県との交渉では、出てくる相手は課長止まり。それが「雲の上の存在」だったという部長や副知事までが事務所を訪れるようになった。議員の力があれば「届かなかった声が届けられるのでは」と、希望があふれてきた。

 「私に“次”はない。寿命を削るのは覚悟の上で、この一期に懸ける」。目指すのは難病患者をはじめ、障害者や子どもが安心できる医療制度づくり。新人議員の挑戦は始まったばかりだ。 (小倉貞俊)

あのとき
 八月三十日に投開票された衆院選で、政権交代への期待を受けた鳩山由紀夫代表率いる民主党が歴史的大勝を果たした。単独過半数を大幅に上回る三百八議席を獲得し、百四十三人もの新人議員が誕生。新人の内訳は小選挙区が七十一人、比例代表が七十二人(比例復活含む)で、女性は計二十六人に上った。


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