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プロ野球スレ

980あかかもめ:2005/12/19(月) 01:19:58
友人のメールで知ったのですが本当に言葉がないですね・・・・
不人気の象徴だったパリーグが活性化したのは清原西武入団と仰木監督の存在があったからだと思ってます。
日本野球界始まって以来の怪物と呼ばれた清原の入団と共に史上最強チームであっただろうエリート集団のライオンズに対して、反体制的なアウトロー集団を束ねる仰木バファローズ。
見事なまでに好対照な両チームの切磋琢磨がなければパリーグは間違いなくこの世から消えていたでしょう。10.19や翌年のライオンズ戦ダブルヘッダーでのブライアント4連発で王者の息の根を止め、一年前の雪辱を果たしたミラクルバファローズ。
長年、プロ野球を見てきてるけどこれほど個性的でインパクトの強いチームは今後、二度と表れる事ははないでしょう。仰木彬の存在がなかったら私がここまで野球にのめりこむ事はなかったでしょうし、何度も言いますがパリーグが今現在、存在している事もなかった。
彼が居なければブライアントは中日の2軍選手のまま帰国の途に着いただろうし、金村、鈴木貴久、小野、吉井らアクの強い個性派達はばらばらのまま王者ライオンズに手玉に取られていたと思う。
野茂英雄は変則フォームのノーコン投手で終わっていたかもしれない。イチローの振り子打法も世に出る事はなく、生意気な若僧として干されていたままだったかもしれない。田口壮はスローイングに欠陥のある内野手のまま消えていた可能性が高かったと思われる。
最近で言えば、タフネス左腕の萩原も名もない野手のまま消えていただろうし、菊地原もぱっとしないままだったでしょう。吉井が復活する事もなかった。減点主義的な日本野球界において、短所を消すのではなくその選手の持っているセールスポイントを最大限に引き出し大物に育てる手腕は日本人指導者では彼が一番だったんじゃないかな。
西武ファンの友人ともメールしていたのですが生涯最後の年に宿敵西武とPO争いを演じ、監督最後のゲームをこのチームとの対戦で終え、散々痛い目にあわされたゆえに敵チームでもっとも彼を理解してるであろうライオンズファンのエールを受けて球場を去っていった事はなんともいえぬ運命を感じましたね。
本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます


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