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プロ野球スレ

979とはずがたり:2005/12/18(日) 05:59:34
指揮の裏、壮絶な闘病 仰木前監督死去
2005/12/16
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/00045465sg200601161400.shtml

 プロ野球オリックス前監督で球団シニアアドバイザーの仰木彬氏が十五日、七十歳で死去した。イチロー外野手、野茂英雄投手らの大リーガーを育て上げ、数々の奇策で「仰木マジック」と称された名将の晩年は、壮絶な病魔との闘いだった。

 常に周囲に気を配る人だった。五月十一日の巨人との交流戦。リードした終盤で守護神の山口和男投手が、清原和博内野手の頭部に死球。指揮官の第一声は「キヨ、すまんかった」だった。パ・リーグ一筋の指揮官。誰よりも楽しみにしていた巨人との真剣勝負。それを壊してしまった責任を一人で背負った。

 二〇〇四年、世間を騒然とさせた近鉄との合併。あえて「火中のクリ」を拾う覚悟で、六十九歳の球界史上最高齢で合併球団の監督に就任した。だが激戦は肺がんと闘っていた老将の体をむしばんでいった。

 監督付き広報を務めた岸田光二さん(37)は、八月ごろから体調の悪化を感じ取っていたという。「大丈夫、大丈夫」とけっして弱音は吐かなかったが、病院の定期検査は、月一回から四回に増えた。試合前練習も早めに切り上げたり、遅れて出たりするようになった。顔色も目に見えて悪くなり、体も細くなった。夏場でもグラウンドコートを着て「寒い寒い」と漏らし、選手の間でも「相当体調が悪いんだな」と話していたという。

 終盤戦では、ベンチに指揮官の姿がない場面もあった。九月下旬、シーズン最終カードの西武戦。試合後、インボイス西武ドームの駐車場に向かう長い階段を上れなかった。車を待たせたバックスクリーン裏まで歩いて向かい、レフトスタンドからの声援に手を振った。それが最後の勇姿となった。「グラウンドでぶっ倒れても本望」。その言葉通りの壮絶な最期だった。


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