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プロ野球スレ

974とはずがたり:2005/12/18(日) 04:35:38
仰木氏、散り際も古武士…殿堂入り名監督
http://news.goo.ne.jp/news/fuji/sports/20051216/320051216005.html?C=S
2005年12月16日 (金) 12:28

(夕刊フジ)
 今年、プロ野球オリックスの監督を務めた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日午後4時10分、呼吸不全のため福岡市内の病院で死去した。70歳だった。葬儀は密葬で行う。

 福岡・東筑高から1954年に西鉄に投手として入団。すぐに二塁手に転向し、チームの黄金時代に貢献した。67年に現役引退。西鉄で2年間、70年からは近鉄に移籍し、18年間コーチを務めた。88年に近鉄監督に就任、89年にリーグ優勝し、92年に退任。

 94年オリックスの監督となり、本拠地神戸が阪神大震災に見舞われた95年にリーグ優勝、96年には監督として初の日本一に輝いた。2001年に退任し、04年には野球殿堂入り。05年に近鉄と合併した新生オリックスの監督に復帰したが、高齢による健康面を理由に1シーズン限りで退き、球団シニアアドバイザーに就任していた。

 最期は古武士のような散り際だった。

 9月29日、神戸市内で宮内オーナーに辞任を申し入れた仰木彬前監督は、直後に福岡市内の病院に入院。感づいた記者には「検査入院」と説明していたが、そのころから病魔は身体をむしばんでいた。

 10月、病状を心配したイチローや田口の見舞いを受け、一時は外出できるほどまでに回復したが、11月には再び病状が悪化。このころ、ほとんどのフロント幹部にも内証で病院を移った。関係者によると「周囲に迷惑をかけたくない」という理由だったという。

 仰木さんがひっそりとした幕引きを望んだ影響からか、オリックス球団の対応は混乱を極めた。15日午後10時前後に仰木さん死亡の情報が流れ、球団のフロント幹部には球界関係者やマスコミからの問い合わせが殺到したが、確認がなかなか取れない。

 いったん閉じられたスカイマークスタジアム(神戸市西区)内の球団事務所が深夜に再開。日付の替わった午前0時過ぎに小泉隆司球団社長、中村勝広監督が相次いで事務所に入り、2人の会見が行われたのは午前1時を回ってからだった。

 「一緒に仕事ができることを楽しみにしていたのに、残念無念の極みです」。終始うつむき加減に話す中村監督。小泉社長も「就任時に話された、野球人としてグラウンドで倒れても本望という言葉が胸に残ります」と言葉を詰まらせながら振り返った。あまりの急な訃報に、2人とも信じられないという感情が先にたっていた。


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