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プロ野球スレ

2587チバQ:2018/04/07(土) 03:11:40
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/175638?rct=n_ballpark
<ボールパーク 北広島へ>上 「2軍球場」提案が契機
03/28 09:23
1月には日本ハムの竹田憲宗社長(左)と北広島市の上野正三市長(右)がスポーツ振興などで協力関係を結ぶパートナー協定に調印。両者は関係強化を進め、「二人三脚」の体制を築いた
1月には日本ハムの竹田憲宗社長(左)と北広島市の上野正三市長(右)がスポーツ振興などで協力関係を結ぶパートナー協定に調印。両者は関係強化を進め、「二人三脚」の体制を築いた
 プロ野球北海道日本ハムのボールパーク(BP)構想の建設候補地決定について説明した27日の記者会見。球団の三谷仁志事業統轄副本部長は北広島市との交渉経緯について問われ、「北広島市さんとは、2年以上にわたり交渉を積み重ねてきた」と語った。

■素早く球団と接触

 BP構想で、球団と北広島市が協議を始めたのは2017年1月。三谷氏は、それ以前から北広島市と球団が接触してきたことを示唆した。

 「プロ2軍が使える硬式野球場を造るなら、どんな仕様が必要か」。15年のある日、まちづくり担当の市職員が札幌ドーム(札幌市豊平区)の球団事務所を訪ねて持ちかけた。当時、北広島市は財政難で整備計画が止まっていた「きたひろしま総合運動公園」予定地に、2軍の試合を誘致できる野外球場の整備を検討。職員は上野正三市長の指示で球団に出向いた。これが、球団が北広島に注目するきっかけとなり、後のBP構想に結びついた。

 こうした経緯もあり、北広島市は、球団が水面下で周囲に本拠地の札幌からの移転を打診し始めた16年初めごろ、「球団が北広島での新球場構想を持っている」との情報を得ると、すぐに誘致に向けた検討を始めた。

 その後、市は矢継ぎ早に住民による期成会の設立や署名の呼び掛けなどを後押しし、誘致の機運を盛り上げ、最大の課題である交通アクセスの改善に向けJRとの非公式の交渉も球団と行った。上野市長は今、「2軍の球場を提案した時の出会いがなかったら、ここまで話が進まなかったかもしれない」と話す。

■「二人三脚」で信頼

 北広島市とのこうした関係を踏まえ、三谷氏は「われわれの構想に賛同いただき、質問にもすぐにお答えいただける。ありがたい存在だった」と、振り返る。当初、道内経済界などからは「(誘致を競った)札幌の候補地のあて馬にすぎない」とみられていた北広島だが、札幌市の関係者は「球団関係者には以前から北広島でBP構想を実現したいという思いが強かったようにも感じた」と明かす。

 上野市長は27日朝、ファイターズカラーの青色のスーツとネクタイ姿、胸には日本ハムのマスコット「B・B」のバッジを着け市役所に向かった。JR北広島駅前から建設候補地まで延びる通勤路を歩みながら「ここを多くの人が歩き、試合後に観客が集まる飲み屋などもできたらいい。選手寮もできて雇用が増え、確実に人口は増えるはずだ」と期待した。

 球団関係者は北広島を選んだ決断を「自由と夢を取った」とみるが、球団はまだ最終決定とは位置付けてはいない。球団や親会社などが設立した新会社「北海道ボールパーク」が経済環境の変化や行政の支援内容を見極め、計画の見直しや、建設候補地を変更する可能性はゼロではない。

 人口6万人の街が、道都札幌より高い評価を得た勢いを、構想を具体化させる波に乗せられるのか。BP構想を単なる「夢」に終わらせないため、北広島市と球団の「二人三脚」の真価が問われるのはこれからだ。



 日本ハムのボールパーク構想の建設候補地が北広島に決まった。期待や課題が交錯する現場から伝える。(3回連載します)


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