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プロ野球スレ

2518チバQ:2016/01/25(月) 23:31:37
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160125-OHT1T50089.html
【あの時・幻の新球団ライブドア】(5)獲得計画クレメンスは「OK」
2016年1月25日15時0分 スポーツ報知

 運命の時は本社のある六本木ヒルズではなく、仙台で迎えることにした。04年11月2日、新規参入の合否判定日。堀江貴文らライブドアの幹部は、ホテルメトロポリタン仙台の915号室に待機していた。テレビをつければ、どの局も特番を組み、決定の報を今か今かと待っている。午後4時に鳴るはずの電話に、まだ着信はない。それでもみんな若かった。冗談を飛ばしながら、激動の日々を映すテレビ画面を見つめていた。

 午後4時53分。取締役・熊谷史人の携帯が鳴った。声の主はNPB審査小委員会委員長の豊蔵一だった。「残念ながら楽天で…」。夢は破れた。落選だった。その瞬間、堀江の第一声は、最後まで“らしい”ものだった。「あっ、決まっちゃった。ありゃりゃりゃりゃ」

 ホテル内の会見場に向かう。大勢の報道陣を前に、堀江が敗戦の弁を述べた。「参入ならなかったのは残念ですが、プロ野球が発展…」。言葉を詰まらせ、続けた。「するよう、草葉の陰から見守っていきたい」

 もし参入できたならば―。ライブドアには夢プランがあった。その年18勝を挙げ、サイ・ヤング賞を獲得した42歳、ロジャー・クレメンス(アストロズ)の獲得計画だ。水面下で調査を進めていたが、“直接交渉”の機会は惜しくも、参入の夢が絶たれた6日後に訪れた。日米野球で来日中のクレメンスが、六本木ヒルズの本社へ足を運んだのだ。それでも堀江は昼食の席でオファーした。今じゃなくていい。近い将来、きっとある。

 堀江「やっぱり大事なのは、僕は投手だと結論づけたので。ピッチャーにはとにかく、金かけて補強しようと。だからクレメンスに『球団作ったら、来てね』と話したら『OK』と。外国人は日本人みたいな僕に対する偏見とか、ないんで。『面白そうだから、やるよ』みたいな感じですよね」

 時は流れた。13年の日本シリーズ、楽天・巨人戦。堀江は、そして取締役だった熊谷と中野正幾は、Kスタ宮城の客席にいた。あの日、誕生した新球団が日本一を争っている。客席の歓声が、懐かしく聞こえた。9年前、俺たちを支持してくれた温かい声と似ている―。

 堀江は昨年7月、Jリーグのアドバイザーに就任した。型破りな提言は、あの時と変わらぬままだ。

 熊谷はビジネスで経験したノウハウを高校野球に生かせないか、挑戦を始めた。

 中野はマーケティング会社を創業し、社長になった。部下には夢をこう話す。「いつか、球団を買いたい」

 最後に、堀江へと尋ねた。04年って、どんな年でした。「悔しかったですけどね。せっかくだから、やりたかった思いはあります。新規参入をする会社があるんなら、応援しますよ」。情熱は今も心の奥でうごめく。それはまるで、不死鳥のように。(加藤弘士)=おわり=※敬称略、肩書は当時


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