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プロ野球スレ

2517チバQ:2016/01/25(月) 23:31:10
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160125-OHT1T50090.html
【あの時・幻の新球団ライブドア】(4)お金なかった…漫喫で資料作成
2016年1月25日15時2分 スポーツ報知
幻の新球団「仙台ライブドアフェニックス」のスカウティングディレクターだった日野茂さん
幻の新球団「仙台ライブドアフェニックス」のスカウティングディレクターだった日野茂さん

 ◆スカウティングディレクター・元横浜の日野茂氏

 「ライブドアのことを聞きに来たの? よく覚えているよ。堀江が32歳で、あとは20代半ばだったよなあ」

 豪放な声が室内練習場に響く。日野茂は幻の新球団「仙台ライブドアフェニックス」のスカウティングディレクターだった。71歳になった今、埼玉・川口市内で野球塾の顧問を務める。堀江貴文をトップとする新球団のフロントで、唯一のプロ野球選手経験者だった。

 中大では内野手。松下電器を経て、67年ドラフト外で中日に入団した。西鉄、太平洋と実働6年。引退後はコーチやスカウト、2軍監督を歴任した。湘南シーレックス監督時代の同僚・小島克典が暫定GMに就任した縁からオファーがあり、快諾した。「ヒマだから、いいよって言ったんだ」

 監督は既に阪神の駐米スカウト、トーマス・オマリーに決まっていた。最大の仕事はコーチ人事。球界の内情に精通し、各方面に顔が利く日野には適任だった。水面下での交渉が始まった。

 日野「オマリーを操縦するには誰がいいかな―からの発想だよ。権藤博しかいない。で、ヘッドは権藤。投手コーチで『やらせたら面白い』と思ったのが成本年秀。打撃コーチは伊勢孝夫。『手伝ってくれや』『分かった』と。守備は水上善雄。『ただこれは、幻で終わるかもしれないけどな…』と話をしながらね」

 プロの世界。声を掛けるには金銭面も含めた条件提示が必要だ。ここで日野は、報道されていないライブドアの“社風”を垣間見る。

 日野「年俸はどれだけ出せる?って聞いたら『コーチ全員1000万円』と言うんだ。『ダメだ。少なくとも1200万円にしてくれ。でなきゃ来る人間はいないぞ』って。ITは景気がいいと聞いていたけど、お金にはシビアだったね」

 当時26歳。ライブドアベースボール取締役だった熊谷史人も、笑って証言する。

 熊谷「当時は金満とか成り金と言われましたけど、僕たちお金がなかったんですよ。仙台でも安い焼き肉店に行って、600円のカルビを食べて『うまいね〜』って言っている時代です。個人は全然お金がなかった。NPBの審査小委員会から質問状がガーッと来て。堀江さんから『やっといて』って。仙台駅前のマンガ喫茶で資料作って。ネット環境もあるし、安くていいから。会社からお金、出ないんです。全部自腹ですよ。ヒーヒー言いながら朝まで、回答書を作って。カツカツの状態で知恵を絞りながらやっていたんです」

 マンガ喫茶で作成された回答書はNPBへ提出され、審査の材料になった。それでも「楽天優勢」は揺るがなかった。そして運命の「11・2」、合否判定の日を迎える。大勢の報道陣が密着する中、堀江らは仙台へ向かった。(加藤弘士)=敬称略、肩書は当時=

 ◆ドラ1はダルビッシュ 04年のドラフト会議は11月17日。ライブドアの参入が認められた場合、1位には東北高・ダルビッシュ有をリストアップ。「東北の高校の子だもん。今でいうと楽天が仙台育英の平沢に行く感じ」と日野氏。新球団・楽天は即戦力投手重視の姿勢から自由獲得枠を行使し、明大・一場靖弘が入団。ダルビッシュは日本ハムが単独で1位指名した。


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