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プロ野球スレ

2515チバQ:2016/01/25(月) 23:30:21
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160125-OHT1T50092.html
【あの時・幻の新球団ライブドア】(2)「仙台」即決も楽天「後乗り」参戦
2016年1月25日15時6分 スポーツ報知
2004年9月24日、出張先の英国から帰国、その足で仙台入りし浅野宮城県知事(左)を訪ねた堀江社長
2004年9月24日、出張先の英国から帰国、その足で仙台入りし浅野宮城県知事(左)を訪ねた堀江社長

 2004年8月19日。堀江は新球団を作り、プロ野球に参入する意向を発表した。直前には近鉄買収に名乗りを上げながら、拒絶されていた。オリックスと近鉄の合併で、12球団での2リーグ制存続は風前のともしびだった。堀江の型破りな言動は連日、紙面をにぎわせ、世論の関心を引きつけていた。

 球界のトレンドは地域密着。ダイエーや日本ハムが本拠地の市民を巻き込み、新たなビジネスを展開していた。ならばライブドアは、どこに行こうか。愛媛、長野、京都、新潟…。水面下で自治体に打診した。程なく候補地は絞られる。

 9月9日。都内ホテルの和食店。宮城県知事の浅野史郎は、堀江との極秘会談に向かった。改革派知事として3選11年目。個室に入ると驚いた。初対面にもかかわらず、堀江はTシャツ、ジーパン姿だったからだ。

 浅野「すごく印象に残っている。あまりそういうことは、ないから。やんちゃな感じが話題だったけど、抵抗感はありませんでした」

 堀江は単刀直入に言った。「仙台にプロ野球を作りたいんです」。浅野は応じた。「賛成です。年間5000万円で貸しますから、県営宮城球場は好きに使ってください。その代わり、改修はそちらでお願いします。参入できるように、全面的なバックアップをします」

 わずか10分。即決だった。同じ変革者。波長が合った。堀江は手応えを感じていた。球界参入、これはいけると。

 だが数日後。強力なライバルが出現する。日本最大のインターネット商店街を運営する楽天が、新球団設立を準備しているというのだ。同じ六本木ヒルズに本社を置くIT企業同士。球界、財界での信頼度は、堀江よりも三木谷浩史の方が上なのは、明らかだった。

 ライブドア危うし。そんな世論が醸成される同15日、堀江はNPBに参加申請する。本拠地は杜(もり)の都・仙台。浅野との会談から、たった1週間の速攻だった。

 7日後の同22日。楽天も球界参入を発表した。「楽天も仙台」。その一報に堀江らは耳を疑った。そんなバカな…。当時26歳。ライブドアベースボール取締役だった熊谷史人が述懐する。

 熊谷「楽天は長野か静岡と聞いていたので、ふざけんなって。宮城と楽天が組むことは考えていなかった。企業の格としては楽天に負けるけど、都市の格では長野や静岡よりも仙台の方が上だと。そこで勝つしかないと思っていましたから」

 楽天が「遅れて来た」ことを振り返り、浅野は言う。

 浅野「こっちは選ぶ立場。悪い話じゃない。モテているんだなあと。でも堀江君が動かなければ、仙台にプロ野球は来なかった。最初に井戸を掘った人が水を飲めなかったわけです。この紙面を通じて、お礼申し上げたいよね」(加藤弘士)=敬称略、肩書は当時=

 ◆県営宮城球場 1950年に開場。ロッテが73年には準本拠地、74〜77年は本拠地とした。2004年当時は老朽化が進んでいたが、JR仙台駅から車で10分の好立地が魅力に。楽天、ライブドアはともに同球場を本拠地としてNPBに加盟申請した。楽天は参入決定後、即座に改修工事へと着手。翌春の開幕へ間に合わせた。現在ではボールパークに進化し、「コボスタ宮城」の名称で親しまれている。


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