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プロ野球スレ

2083名無しさん:2014/05/04(日) 18:23:25
 東京六大学野球で、東京大学がリーグワーストタイとなる70連敗を記録した。東大が勝てない一番の理由はスポーツ推薦枠がないこと。
他大学には甲子園経験者が集まる一方で、東大野球部員は厳しい「東大受験」を突破した一般学生のみ。1浪、2浪も当たり前の状況だ。

 ただ、そんな東大野球部からも、過去に5名のプロ野球選手を輩出している。いずれも個性的なキャリアを送った選手ばかりだ。
東大野球部へのエールもこめて、歴代東大出身プロ野球選手の足跡を振り返ってみたい。

◎異例の「出向」プロ野球選手/新治伸治

 東大野球部出身として初のプロ野球選手になったのが新治(にいはり)伸治だ。大学4年間(1961〜64年)で
東京六大学リーグ通算8勝43敗の戦績を残した後、1965年に大洋漁業(後のマルハ、現在のマルハニチロ)に入社した。

 しかし、ほどなくして、身分はサラリーマンのまま子会社である大洋ホエールズ球団へ「出向」。
球団オーナーの「南氷洋に2、3年行ったつもりで、ちょっとプロで投げてみなさい」という遊び心からユニホームを着ることになったのだ。
プロ生活4年間で通算9勝6敗の成績を残し、1968年に退団。大洋漁業に復帰した。
1987年には大洋球団の非常勤取締役も務めている。

◎一流商社の内定を蹴ってプロ入りした男/井手峻

 東大野球部在籍時はエースとして活躍。1966年のドラフトで中日から指名を受け、三菱商事の内定を辞退して入団したのが井手峻。
1年目にリリーフ登板で1勝を挙げる。ちなみにこの試合、対戦チームの大洋も、途中から上述した新治が登板。
プロ野球史上、後にも先にも1度きりの「東大出身投手の投げ合い」が実現した。

 その後、1970年に外野手に転向。100メートル11秒台前半の俊足を生かし、守備固めと代走でチャンスを広げた。
1973年5月5日に東大卒選手としては史上初の本塁打を放つ。1976年現役引退。
コーチ、2軍監督を経てフロント入りし、編成担当の球団取締役を務めた。

◎東京大野球部、もうひとつの「70連敗」を知る男/小林至

 前回の70連敗時(1987年秋〜1990年秋)にエースだったのが、東大3人目のプロ野球選手、小林至だ。
東京六大学リーグ通算0勝(12敗)ながら、練習生を経てドラフト8位でロッテに入団。大学で1勝もしていない投手のプロ入りに
「話題先行」と当時物議を醸した。現役生活2年間で1軍での登板はなかった。

 退団後に渡米し、コロンビア大学経営大学院でMBAを取得。帰国後は参院選出馬、大学助教授などさまざまな経験を経て、
2005年から福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役を務めた。2011年、杉内俊哉(現巨人)をFA移籍で流出させてしまった
責任を取り、取締役を辞任。現在、ソフトバンク統括本部副本部長を務める。


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