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プロ野球スレ

1835名無しさん:2014/01/18(土) 11:04:36
成城工の恩師が野茂を語る…1球で他の投手候補が諦めた

野球殿堂プレーヤー表彰

 野茂の殿堂入りに、母校・成城工(現成城)の元監督、宮崎彰夫氏(71)もかつての教え子の
快挙に喜びをかみしめた。懐かしい思い出を語るとともに、恩師は将来の指導者へ期待を寄せた。

 まさか野球殿堂入りにまでなるなんて。それが吉報を耳にした宮崎氏の正直な思いだった。

 「野茂はね、投手しかできなかった。普通は投手ができればショートでも何でもできる。それを
言うと怒るかもしれないけど、本人も分かってた。だからここまでなるとは…。ただ、入ってきたとき
から凄かった」

 入学後、希望を聞いたら「投手をやりたい」と即答した。硬式球にも慣れた4月29日。投手候補を
ブルペンに集めて投げさせたら、最初の1球で他の部員が「俺、投手はやめた」となった。とにかく
速かった。「投手は走らなあかんで」。ランニングはバランス感覚も養うが持論の宮崎氏は走らせた。
毎朝6時半から1周800メートルの校舎の周りを8本。「もっと速く走らんかい!」。いくら言っても
マイペースだった。でも、練習には一切手を抜かなかった。

 後に、社会人・新日鉄堺でのことだ。ランニング量の多さに「僕、高校でたっぷり走ってきたから
もういいです」と言ったという。「あいつらしいですわ」。ただ、その走り込みがトルネード投法の基礎
となった。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/18/kiji/K20140118007409360.html

成城工(現成城)時代の宮崎監督と野茂氏(右) Photo By スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/18/jpeg/G20140118007408570_view.jpg
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/18/jpeg/G20140118007408580_view.jpg

独特の投球フォームは当時から。トルネードという呼び名もまだなかったが、宮崎氏はそのまま
投げさせた。「誰もが"あれでは駄目"と言ったけど、素人監督だったから直せなかった。だから伸
びたんでしょう。玄人だったらつぶしてたかもしれません」。新日鉄堺入りもフォームを直さないこと
が条件だった。

 「しばらくしっかり勉強して再び(指導者で)戻るのがおまえの役目やぞと伝えたい」

 もう30年も前の思い出を語る宮崎氏は誇らしげだった。

 ▽野茂の高校時代 1年夏は足首の骨折で出場できなかったが、1年秋からエース。2年夏の2回戦
(対生野)で完全試合を達成した。当時の大阪はPL学園全盛時。1学年上には桑田、清原のKKコンビが
いた。3年夏は5回戦で敗退。公立校の成城工に甲子園は厚い壁だった。


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