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プロ野球スレ
1448
:
とはずがたり
:2011/08/02(火) 11:57:33
伊良部氏波乱の“ジェットコースター人生”
夕刊フジ2011年7月29日(金)17:00
http://news.goo.ne.jp/article/fuji/sports/zak20110729015.html
158キロの剛球、メジャーリーグのヤンキースで日本選手初のチャンピオンリング獲得…。42歳でこの世を去った伊良部秀輝さん。死去の一報は瞬く間に世界を駆け巡り、ともに歩み、戦った球界関係者も衝撃を隠さない。持ち前の剛球のように一気に駆け抜けた人生だった。
伊良部さんは兵庫県尼崎市出身。高校は尽誠学園(香川)に進み、86年、87年に夏の甲子園に出場した。88年、ドラフト1位でロッテに入団。150キロ台後半の速球を武器に先発投手として定着した。
93年5月、西武・清原和博との対決で当時日本最速となる球速158キロをマークし、その名が野球ファン以外にも浸透。清原との力勝負は「平成の名勝負」とも呼ばれた。96年には2年連続となる最優秀防御率、3年連続の2桁勝利を達成し、球界を代表する投手となった。
だが、そこは勝ち気な剛腕投手。96年オフ、フロントとの確執などから突如、FA権のないままメジャー移籍を直訴し、パドレスを巻き込んだ三角トレードの末、97年5月、あこがれのヤンキース入りを果たした。
同球団オーナーのジョージ・スタインブレナー氏は当時、「和製・ノーラン・ライアン」と絶賛。98年には13勝を挙げてチームの世界一に貢献し、日本人選手として初のチャンピオンリングを獲得した。
その一方で、成績が落ちるとオーナーから「太ったヒキガエル」と酷評され、観客から大ブーイングを受けた際にスタンドへ向けてツバを吐くなど、米メディアには負の面が多く注目された。
ポサダ捕手のリードを批判し、温厚なトーリ監督を激怒させたこともある。あるメジャー関係者は「先発投手が登板前に数錠飲んでいた興奮剤を大量に摂取し、精神が制御できないことも。全身に入れ墨をほどこし、ロッカールームのチームメートを仰天させたこともあった」と証言した。
6年間プレーしたメジャー生活を経て、03年に阪神で国内復帰を果たしたが、04年オフに戦力外となり、現役引退。再びセ・パ両リーグへの復帰も描いていたようだが、残念ながら、かなえることはできなくなった。
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