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プロ野球スレ

1276とはずがたり:2009/12/11(金) 01:42:04

残念でしたよね。こんなに酷かったとは。。
>慢性的な首痛が致命傷になった。これまでも手足がしびれたり、寝つけずにナイター明けのデーゲームに出られなかったり。07年には万が一の場合にも球団の責任は問わないと両親が一筆書いた。だが、今回の状態はそれ以上。「最悪、命の危険性がある」。脊髄の管が細く、手術は無理。1年間リハビリしても完全に回復するのは難しい――。拒んできた球団の引退勧告を受け入れる形になった。


走る勇気、命かけた 赤星引退 車いす寄付、計301台に
http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/OSK200912100088.html
2009年12月10日17時59分

写真:リーグ優勝を決めるサヨナラ安打を放ち、喜ぶ赤星=2003年9月15日、阪神甲子園球場リーグ優勝を決めるサヨナラ安打を放ち、喜ぶ赤星=2003年9月15日、阪神甲子園球場

 ダメ虎から常勝チームに阪神を変えた一人、赤星が惜しまれつつユニホームを脱ぐことになった。

 慢性的な首痛が致命傷になった。これまでも手足がしびれたり、寝つけずにナイター明けのデーゲームに出られなかったり。07年には万が一の場合にも球団の責任は問わないと両親が一筆書いた。だが、今回の状態はそれ以上。「最悪、命の危険性がある」。脊髄の管が細く、手術は無理。1年間リハビリしても完全に回復するのは難しい――。拒んできた球団の引退勧告を受け入れる形になった。

 野村元監督に一芸を見いだされてプロ入り。俊足選手を集めた「F1セブン」で売り出し、阪神の意識を変えてきた。「走塁の改革はできたんじゃないかな」と顧みる。

 社会貢献と言えば赤星ともいわれた。03年から盗塁数に応じて車いすを寄付。この日は定位置だった甲子園の中堅で今季分の31台を贈った。合計301台。「まだ100個、200個は贈りたかった」。無念さがあふれた。

 印象的な言葉がある。「盗塁は走る速さよりも、いかにスタートを切る勇気を持てるか」。だが、今回のけがで「恐怖心が今まで以上になってしまった」。もう、170センチの小柄な体を生かした快足は見られない。(笠井正基)


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