[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
プロ野球スレ
1140
:
やおよろず
:2007/05/03(木) 20:22:26
年が明けた昭和26年早々、重大事件が勃発していた。セ・リーグ内に、「広島カープを解散させるべし」との案が具体化しつつあった事だ。その根拠は、カープは給料を遅配し定期的支給を怠っているが、これはセ・リーグ加盟球団として恥になること。また、25年度ビリであったが26年度も強化の実が上がっておらず、再びビリが決定的であり、セ・リーグのお荷物になること、であった。
その最終的決定を協議するセ・リーグ理事会は、26年3月16日、甲子園球場で開かれることになった。16日から三日間行われる「大阪優勝大会」の初日の試合が終了した時点で、一気に可決してしまおうとしたのである。勿論広島カープもこの準公式試合に参加する予定であった。解散か、大洋への吸収合併か、を目前にして何ら手を打たないほどカープは無能ではなかった。
広島カープ危機一髪・・・あらゆる手段を講じ、出来るだけの手を打っていた。例えば、広島専売公社への売り込み、某ビール会社への打診、某ウィスキー会社への嘆願等々。が、全て失敗に終わった。
こうして万策尽き、途方に暮れていた折りもおり、3月13日、NHKの広島放送局即ちJOFKが、−−カープ解散か?と正午のニュースに流したからえらい事になった。JOFKのニュースを聞いたカープ合宿では、緊急選手会が開かれた。皆実町の御幸荘アパートの合宿は、せきとして声もなかった。
「今のラジオを聞いたか。皆んなの遠慮のない意見を聞かせてくれ」ようやく監督石本秀一がこれだけ言った。選手達は答えなかった。答えられなかった。給料の遅配にもめげず、一年間頑張り抜いてきた選手達であった。質屋通いをしてどうやらその日、その日を過ごしてきた健気な若者達であった。しかし、もう甲子園大会に出場するための汽車賃を捻出することさえ不可能であった。
「リュックサックにバットとグラブとユニフォームを入れて歩いていこう。広島から大阪まで歩いていけん事もなかろうが」
悲壮な決議を前夜、満場一致で可決したばかりであった。歩き疲れ、睡眠も不足とあっては、甲子園までたどり着いたとしても、果たして試合ができるのだろうか・・・そんなことは誰も考えなかった。カープの選手は全員ただ野球がしたかったのである。しかし、その決心もJOFKのニュースを聞くに及んで、事態はそこまで行っているのかと落胆し、全員が虚脱状態に陥った。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板