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日本の城郭
68
:
荷主研究者
:2009/12/10(木) 23:31:20
>>66
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20091204/CK2009120402000195.html
2009年12月4日 中日新聞
浜松城の富士見櫓は風雅な邸宅風 市の発掘調査で判明
徳川家康が一時居城としたことで知られる浜松城(浜松市中区元城町)の「富士見櫓(やぐら)」が、櫓建築としては一般的な土蔵造りとは違い、邸宅風だったことが浜松市の発掘調査で分かった。造営は16世紀後半(安土桃山時代)か17世紀(江戸時代前期)で天下太平に向かう時期とみられ、富士山を見ながら茶の湯などを催す風雅な場だった可能性がある。
市生涯学習課によると、天守閣のほぼ北東に位置する富士見櫓の跡から礎石(柱が乗る土台)3個が出土し、間隔を調べたところ、京間(六尺五寸=197センチ)を用いた構造と判明した。北側の石垣までのスペースでは庭園装飾に用いる玉砂利も多数見つかった。
風流な櫓建築としては松本城天守閣の「月見櫓」が有名で、城主が自らの趣味で建てたとされる。
富士見櫓の場合も風流を狙い、京間を選んで幕政期に一般化した江戸間(現在の一間に当たる六尺=180センチ)を使わなかった可能性がある。ただ、建築にかかわったのは家康ではなく、後の城主とみられている。
同課文化財担当の鈴木一有さんは「高僧など地位の高い人をもてなしたかもしれない」と話している。
市は富士見櫓の復元を目指しており、今回の成果を生かす。5日午前10時と午後1時半には現地見学会が開かれる。雨天時は出土品の見学のみ。
浜松城 残存する資料が少なく詳細は未解明だが、戦国時代の1570(元亀元)年、徳川家康が岡崎から本拠を移し、増築を重ねたとされる。家康が江戸に移ると豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が天守閣を建造し、江戸前期には譜代大名の高力氏や太田氏が入城、天守閣は17世紀には消滅した。幕府の要職に就いた城主が多く、出世城とも呼ばれた。天守閣は1958(昭和33)年に再建された。
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