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日本の城郭

350とはずがたり:2016/11/26(土) 19:51:02
>>349-350
真田家から学ぶ後継者問題解決法
そうした信之の英断だが、彼ひとりのものというより、もともと真田家で引き継がれてきた「DNA」によるところもあったかもしれない。

そもそも真田家が、徳川からも豊臣からも重んじられた理由は、信之以前の時代から、まぎれもない実績があったおかげだ。それは信之の祖父・幸隆の活躍に始まる。

『高白斎記』によれば、幸隆は武田信玄に仕えたばかりのころ、信玄が苦杯を舐めた戸石城を調略によって1日で落城に追い込んだという。それ以来、幸隆は信玄に重用され、真田家の地位を向上させていった。そして、後世にいう「武田二十四将」には、幸隆自身はもちろん、彼の3人の息子も含まれている。二十四将に4人も選ばれたのは真田家のみ。それだけで、この一族がどれほど粒揃いであったかがわかるはずだ。

幸隆の3人の子のうち、三男で信之の父、真田昌幸は「長篠の戦い」(1575年)で2人の兄が討死したため、真田家の家督を継ぐことになるが、彼もまた若くして「信玄の両眼の如き」と称されるほどの評価を受けている。そして、昌幸の息子たちもそれぞれが活躍し歴史に名を残した。

入山氏は、経営学者としての立場から真田家を見て、「日本に存在する企業は中小企業を含めると97%がファミリービジネス(同族経営)で、事業継承が最大の悩みになります。真田家の場合、それがすんなりと行われたことが幸運だった」と分析する。

本郷氏は「今の時代は個性を表に出していく時代。しかし戦国時代は個性を出すより以前に、お家を守ることがいちばんの目的だった。それが両方ともうまく行ったのが真田家だった」と語る。

家を守るのは、何千、何万という家臣を養い、そして無数の領民を守るためだ。真田家は一族が粒揃いだったため、後継者問題を難なく切り抜けたが、戦国時代においてこれほど優秀な一族はまれだったと本郷氏は語る。では戦国時代、通常の場合では後継者問題をどう解決していたのか。「そこにDNAは関係ありませんでした。家さえ続けば養子でもいい。優秀な人材であれば、そういった割り切った考え方をした時代でもあった」と本郷氏は力説する。

入山氏は「最近、統計分析が進み、わかってきたことですが、長い間、成長率・利益率を高く維持している企業は、後継者が養子のパターンなんです」と言う。新しい血を入れてでも家(会社)や家臣(従業員)を守ろうとする。その戦略の正しさは、今も昔も変わらないのかもしれない。

信之と幸村 兄弟の絆
「関ヶ原の戦い」で兄弟が別れてから15年後、弟・真田幸村は大坂夏の陣に散った。一方、兄・信之は信濃の地で真田家を守り抜き、天下泰平の時代へと、さらに歩みを進めた。兄弟は離れ離れになりながらも、それぞれのやり方で真田の家名を歴史に刻み込んだのである。

「幸村は、迷惑はかけるかもしれないが、兄・信之が必ず真田家を守ってくれると確信していたからこそ、大坂の陣であれだけ精いっぱい戦って、武名を残すことができたんだと思います」と本郷氏はいう。

兄は家を守り、弟は名を残した。信之と幸村、その兄弟の絆が確かであったことは、400年後の時代を生きる私たちにも、はっきりと感じ取ることができる。そしてそのことが、真田家のブランドを永遠のものにしているのだ。


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