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日本の城郭
334
:
名無しさん
:2016/03/02(水) 18:55:03
>>333-334
「押しても駄目なら引いてみよ」とは言っても、今回はまさに「押しても全滅、退いても全滅」という状況です。
苦しいときこそ、「第三の選択肢」を模索
このとき二者択一の決断を迫られた島津義弘は「第三の選択肢」を採ります。彼は立ち上がって叫びます。
「我が軍の周りで、最も強敵の部隊はどこか!?」「もちろん、東正面の家康本陣です!」
「よし! ではこれより我が隊は東の家康本陣に向けて撤退する!」
「西に向けて撤退」でも「東に向けて突撃」でもありません。「東に向けて撤退!」と叫んだのです。
平時においては敵の弱点を突き、窮時においては敵の強点を攻む。
今まさに敵軍が殺到してくる「東」に向かって全滅覚悟の突撃をかけるというのならわかりますが、「撤退する」というのですから、およそ正気の沙汰とは思えません。
そもそも、これは兵法に悖(もと)っているように見えます。孫子の兵法では、次のように教えています。
「敵の守らざる所、あるいはその不備を攻めよ」。
しかし、これは「一般論」です。こちらに余裕があるときはこれが定石ですが、追いつめられるだけ追いつめられたときは、むしろ敵の最も強いところを攻めることで、活路が見出されることがあるのです。
人は、圧倒的劣勢にあるとき、どうしても敵に背を向けて逃げたくなりますが、背を向けた途端、その無防備となった背中をばっさり袈裟懸けされてしまいます。むしろ逆なのです。追いつめられたときには、敵の中枢にこそ“活路”があるのです。
通常なら自殺行為ですが、優劣に圧倒的な差があるときというのは、敵も油断しています。その油断を突くことで、わずかなチャンスが生まれるのです。
関ヶ原でも、「勝ち」を確信して軍規がゆるみ始めていたところに、突如島津隊が突進してきたため、東軍は狼狽し、島津隊を中心に真っ二つに割れる陣形となります。そのわずかに空いた穴を突ききって、そのまま南東へと“撤退”することが可能になったのでした。
退路は「前」にあり!
後ろではありません。事実、後ろ(西)へ逃亡を図った(事実上の)総大将石田三成はあっけなく捕らえられ、処刑されています。後ろに退くのはむしろ「まだ余裕があるとき」だけだということを肝に銘じておかなければなりません。
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