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日本の城郭
220
:
荷主研究者
:2012/08/12(日) 21:29:35
>>219
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20120705/CK2012070502000179.html
2012年7月5日 中日新聞
七尾城石垣 新たに50基 二の丸北など 広範囲の分布確認
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012070502100076_size0.jpg
今回の調査で新たに確認された石垣=七尾市の七尾城跡で
七尾市教委は四日、国指定史跡七尾城跡(同市古城町ほか)の石垣調査結果(中間報告)を発表した。二の丸の北側などで新たに五十基を確認し、計百基の石垣が山上から山麓まで全域に分布することが分かった。
七尾城は十六世紀初期に能登国の守護大名だった能登畠山氏が築いた山城。上杉謙信の侵攻を受け一五七七年に陥落、八一年には前田利家が入城した。城域は約二百ヘクタール。畠山氏が造成し、本丸周辺の石垣は前田氏が改修したとみられる。
調査は二〇一〇年に開始。石材は石垣のほか、土留めや防御にも使用され、計三百八十カ所に及んだ。城の正面に達する重要な道の跡や曲輪(くるわ)(造成された平らな面)と曲輪を結ぶ通路も確認した。
調査を指導した七尾城跡石垣調査委員会(谷内尾晋司委員長)の委員の千田嘉博奈良大教授(城郭考古学)は「広範囲に石垣が築かれ、畠山氏(時代)の七尾城の先進性と壮大な規模が明らかになった。戦国時代から近世移行期にかけた能登の歴史を考える重要な発見」と評価している。
市教委は今後、城の構造や変遷、石垣の性質などを検討して一四年度ごろに報告書をまとめる。崩落の危険がある石垣の測量も実施。発掘調査や保存整備につなげる。 (小畑一成)
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