[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
日本の城郭
219
:
荷主研究者
:2012/08/12(日) 21:12:32
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120705103.htm
2012年7月5日03時22分 北國新聞
七尾城跡、全山に精巧な防御構造 石垣など広がる
七尾市教委の七尾城跡石垣調査委員会は4日までに、石垣など石の構造物が城内に約380カ所あることを確認した。分布が広範なことから、日本最大級の山城である七尾城は全域にわたって精巧な防御構造を備えていたことが明らかになった。同市教委は今後も調査を続け、2015(平成27)年度以降に石垣などの整備を図る。
同委員長の谷内尾晋司石川考古学研究会会長らが4日、同市役所で調査の中間報告をした。
約380カ所のうち約100カ所は石垣と見られ、野面積みの石垣は、防御や土留め、装飾などそれぞれ異なる機能を持つことも分かった。七尾城は前田利家によって大改修を受けたという説もあるが、分布が広範であることから、「利家入城後の約1年間で構築するのは無理がある」(文化課)という。
この調査で、現在の大手道以外に、西側の麓から山上に向かう新たな道筋が確認された。道中には巨石「九尺石」を使ったものなど、数カ所の枡形(ますがた)があった。
谷内尾委員長は、能登畠山氏と姻戚だった南近江守護の六角氏の観音寺城(滋賀県近江八幡市)も多くの石垣を備えた山城と指摘。「積み方などから畠山氏の時代と見られる石垣もあれば、利家入城以降の石垣と見られるものもある。調査で全容を明らかにしたい」と話した。
同副委員長の東四柳史明金沢学院大教授は「戦国中後期に、六角氏と能登畠山氏が交流する中で、南近江の石(いし)工(く)集団が七尾に招かれて築城に関わっても不思議ではない。観音寺城との関連も含め、詳細に調査しなければならない」と語った。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板