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日本の城郭
192
:
荷主研究者
:2011/12/11(日) 15:22:52
>>191
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20111118/CK2011111802000164.html
2011年11月18日 中日新聞
金沢城公園埋文調査 橋爪門 3段階で変化
礎石の位置などから江戸時代に3段階で変化したことが判明した橋爪門二ノ門の遺構
玉泉院丸跡 石垣から水流出か
復元へ多くの手掛かり
県と県金沢城調査研究所は十七日、金沢市の金沢城公園で埋蔵文化財調査の本年度成果を報道陣に説明した。復元整備を行う橋爪門は、礎石の位置の変化などから江戸時代に門の大きさが改築によって三段階で変わったことが判明。今後の復元計画の参考にするため遺構の全容を調べている玉泉院丸跡では、石垣上部から水が滝として流れ込んでいた可能性が高いことも分かり、全体構造を解明する多くの手掛かりが得られた。(室木泰彦)
橋爪門は二ノ丸の正門で、通行制限が特に厳しかったという石川門、河北門と合わせ「三御門」と呼ばれる。一八八一(明治十四)年に焼失。県は二〇一四年度末までに整備する前に、一〇年度から調査をしている。
本年度の調査で、橋爪門の二ノ門が江戸時代に二回火災で焼失した後、改築のたびに大きさが変わっていたことを確認。ただ中央と背面の二本の大きな柱の間隔は約三・六メートルのまま変わっていないという。原因は不明。県などは、門の大きさが二回変わりながら、大きな柱二本の間隔と寸法が変わっていない理由を今後究明する。
石垣を利用した滝の水が流れ落ちていたとみられることが新たに判明した玉泉院丸跡=いずれも金沢城公園で
一方玉泉院丸跡では、一〇年度の調査で庭園内の斜面に三〜四段の連続する滝状の流れがあったことを確認。本年度は、その水がどこから流れ込んだか調べるため、斜面のさらに上部の石垣周辺を調査した。
その結果、石垣上部には水の流出口とみられるV字型の石でできた流路が口を開けていたが、このまっすぐ下の地面に水を受けるための平らな石が敷かれていたほか、水圧によるとみられるへこみが確認できた。このため、実際に流出口から水が滝となって落ちていた可能性が高いことが判明した。
さらに、へこみの近くに暗渠(あんきょ)とみられる水の流入口が確認できたため、滝から流れ落ちた水が、この暗渠を通って三〜四段の連続する滝まで流れた可能性も高まった。
今回初めて園内の散策路とみられる一部も発見。県などは散策路の配置など、庭園の構造解明につなげたい考えだ。十九日午後一時半から一般対象の現地説明会が開かれる。問い合わせは同研究所=電076(223)9696=へ。
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