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国際経済学

98とはずがたり(1/2):2005/01/10(月) 22:17
地球最前線:90年代コロンビア麻薬戦争・激戦地メデジン、いまや模範都市
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050110ddm007070062000c.html

 90年代まで麻薬戦争の舞台でコカイン・カルテルの代名詞だった街、コロンビアのメデジン市はいま「模範都市」と呼ばれるまでになった。中南米をはじめ途上国の都市部では、どこも「バンダ」と呼ばれる民兵、いわゆるギャングたちによる一般犯罪が増加している。メデジン市は03年からこの民兵の武装解除、更生、教育に力を注ぎ、成果を上げつつある。昨年12月に第1期生として400人余りの更生を終えた市の取り組みを追った。

 ◇民兵更生に成果

 気候や民族構成が多様なコロンビアは、場所により雰囲気がかなり違う。メデジンと聞くと、外来者はすぐに麻薬王だった故パブロ・エスコバルとその組織「メデジン・カルテル」を思い浮かべ、危ないイメージが先行する。だが、実際訪ねてみると、この人口200万の第3都市は中南米の他の都市に比べても秩序があり、安全だとわかる。

 例えばコロンビア第2の都市、南西部のカリ(人口226万人)の場合、早朝7時ごろに街を歩くと人通りはほとんどなく、路上のゴミばかりが目立つ。中心街には市民も立ち入りできない「追いはぎ通り」がいくつもある。

 ところが、メデジンでは6時過ぎから勤め人や商売人が中心街を行き交い、カリでは10時ごろにならなければ人が来ない役所も、8時にはもう職員が席についている。

 メデジンは欧州系とアラブ系、先住民の混血を中心とするパイサと呼ばれる人々が多数派を占める街だ。パイサは首都から国の隅々に至る地で商人として成功しており、同国のウリベ大統領もその一人。「働き者」の血が街の活気を生んでいる面もあるが、市職員のイリアナ・ロペスさん(28)は「90年代、毎日のように殺人があった悪いイメージを少しでも良くしたいという住民の思いが大きい」と言う。

 国民気質というのがあるが、コロンビア人は中南米でも際立って明るい。コロンビア人は概して物おじせず相手をしばらく見つめ、笑顔をのぞかせる。

 夜の通り、カフェ、ゴミ一つない地下鉄。メデジンではどこを歩いても、住民が朗らかな優しい表情を見せる。その表情を生むのは単に外来者を歓迎するという意図だけでなく、自分自身と他人の人生を真っすぐな目で肯定している証しともとれる。

 ◇奨学金、給与並み−−開始1年、脱落わずか5%

 メデジン市がいま最も力を入れているのは、都市犯罪を生んできた民兵の解体、更生へ向けた取り組みだ。

 民兵とはコロンビア全土に広がる右派民兵組織、コロンビア自警軍連合(AUC)のメンバーを指す。AUCは、左翼ゲリラによる攻撃に対抗するため民間人が80年代初頭におこした武装集団で推定1万から1万3000人を抱える。

 90年代前半まではゲリラの襲撃を受ける農場などを守る文字通りの自警団だったが、コカイン密輸や一般犯罪にも手を広げ、いまではコロンビア内戦の元凶の一つと非難されている。

 そのAUCの下部組織「カシーケ・ヌティバラ」と呼ばれる武装集団がメデジンを拠点にしており、03年12月から、この集団のメンバー868人が武装解除を市に申請し、社会復帰のための更生プログラムに参加した。

 1年が過ぎ、現在このうち15人が仲間との争いなどで死亡し、32人が刑務所送りとなったが、残り821人は中、高、大学卒から技師、調理師などの資格取得に取り組んでいる。

 「平和と和解プログラム」と呼ばれるこの更生計画の市の担当者で心理療法士のホルヘ・ガビリア氏は「当初は半分が残ればいいと思っていたが、脱落者は5%以下で、予想以上の成果だ」と語る。「民兵時代の報酬とほぼ同じ奨学金が支給され、やる気があればエンジニアなどにもなれるとわかり、学べば学ぶほど欲が出てきていい刺激になっている」

 内戦終結を目指すコロンビアの取り組みという特殊さがあるものの、メデジン市の成功例は注目を集めており、ブラジルやエルサルバドルから視察団が訪れている。

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