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国際経済学
782
:
とはずがたり
:2015/09/28(月) 09:15:20
【プラザ合意30年】当時の関係者は語る 大場智満元財務官、行天豊雄元大蔵省国際金融局長
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/sankei-ecn1509220021.html
09月22日 19:18産経新聞
1985(昭和60)年9月22日のプラザ合意から30年。当時財務官だった大場智満氏と大蔵省国際金融局長だった行天豊雄氏が産経新聞のインタビューに応じた。(佐久間修志、藤原章裕)
◆大場智満元財務官?「米大統領は『強いドル』なんだな」
??円高が見込まれたプラザ合意に合意した背景は
「不安定だった基軸通貨のドルの安定が世界経済に重要だったことが一つ。もう一つは日米関係。日本は米国に安全保障を依存することで経済に専念できていた。だが、米国の深刻な貿易赤字の大部分が対日貿易であり、貿易摩擦を解消する必要があった」
??プラザ合意当時、政府はどの程度までの円高なら容認できると考えたか
「竹下登蔵相(当時)も私も、200円は割ってもいいという感じを持っていた。でも実際には、それ以上の円高になった」
??声明の策定作業で意見がぶつからなかったか
「合意の1週間前の1985年9月15日、日・米・西独・仏・英の5カ国の蔵相代理がロンドンに集まって、文案を1日で書き上げた。ただ、蔵相抜きで全部やっては悪いと思って、『ドルを弱くする』とのフレーズや、西独を貿易黒字国として規定する表現、介入問題をどうするかは、22日の蔵相会合に託した」
??結局、ドルの部分は「非ドル通貨の秩序ある上昇が望ましい」と
「ベーカー財務長官(当時)が、大統領に持っていくとき、『弱いドル』では許可が下りないと。やはり米国大統領というのは、『強いドル、強いアメリカ』なんだな。だから、円と欧州通貨が強くなることが望ましいと変えた」
??協調介入の話は、いつから持ち上がったのか
「85年にベーカー氏が財務長官になってから潮目が変わったかなという印象でね。リーガン前長官はメリルリンチ出身で、自由市場があるべき姿で、介入には反対だったから」
??それにしても、よく合意まで秘密が保たれた
「米国に向かう当日、竹下氏はゴルフ場からゴルフウエアで空港に来て、日銀の澄田智総裁も、風邪と言って予定をキャンセルし、マスクまでしていた。後で自民党首脳から『会議前に知っておきたかった』と怒られたが、米国もレーガン大統領など4人しか知らなかったようだ。思えば、5カ国だからできたのかもしれない」
??振り返って、日本経済にとってプラザ合意は何の契機になったか
「円が強くなり、海外への直接投資、企業進出が進むきっかけになった。日本の人件費が高くなった状況で、円が高くなったから、海外に生産拠点を作り、製造しないと他国に対抗できないと考えられたようだ」
??現在は中国が米国に対して大幅な貿易黒字で、米国から人民元高を求められている。プラザ合意は今に通じるテーマだ
「中国は当時の日本が、どう米国に接したかにすごく関心を持っていた。日本の金融市場自由化を明記した84年の『日米円ドル委員会』の報告書のことなども勉強してますよ。でも、中国が当時の日本と違うのは、核保有国で強大な軍事力を持っていること。それを踏まえて、今後の立ち位置を決めていくのではないか」
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