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国際経済学
186
:
とはずがたり(1/3)
:2005/11/24(木) 00:38:38
韓国株式関連の補足情報
http://64.233.167.104/search?q=cache:nrMBBdAWtTsJ:www.asianstocks.info/sk/comment/4history.htm
「漢江の奇跡」からIT立国まで
「漢江の奇跡」は韓国の脅威的な経済成長を指して言われる言葉です。
1971年から1997年までの平均成長率は8.0%、
1996年には「先進国クラブ」と呼ばれるOECD加盟を果たしました。
それが1997年以降は一転し、過剰投資・債務を背景に、
上位30 位にあった財閥のうち約半分が破綻しました。
1997年に中堅財閥が相次いで破綻、年末には通貨危機に発展します。
また、1999 年には、当時第2位の大宇グループが破綻し投資信託での混乱が起こりました。
2000 年には、最大手財閥であった現代グループの一部企業が資金繰り難に陥り、
政府系金融機関が多くの企業の社債を買い取る事態になりました。
韓国政府は、1998年以降、IMFの指導下で改革を進め、
1999年以降は落ち着きを取り戻しています。
因みに、韓国は、2001年8月にIMF融資を完済しています。
■奇跡の裏で起こった歪(ゆが)み
しかし、その成長過程は財閥を中心とした金融政策と
重厚長大産業への過大な投資によってもたらされたものでした。
政府が強く市場に介入するため企業の自己責任能力に欠け、
「問題の先延ばし」をして「銀行経営に対する不信感」を醸し出し、
海外からの不信感が韓国をデフォルト寸前まで追いつめるたのです。
韓国では限られた大企業が経済の大部分を支配し、
大多数の中小・零歳企業が残りを分け合う構造があります。
1960年代の朴政権による「経済開発5ヵ年計画」から
財閥支配の経済構造ができあがる要因があります。
5ヵ年計画には第1次(1962〜66)と第2次(1966〜71)がありますが、
日本と同じく雇用拡大と外貨獲得を目的とした輸出主導型の工業化政策でした。
朴政権は金融面でも積極的に関与し、1961年に市中銀行を国有化し、
特定の部門にカネをどんどん流し込むという「政策金融」を実施しました。
政策金融のウェイトは膨張し、
1970年代後半には韓国内の総融資額の過半数を超えるまでになりました。
インフレの中で逆金利になる融資を財閥系にしています。
その結果、財閥系大企業は富み、中小企業は発展が阻害されることになります。
韓国の中小企業の裾野が狭い理由はここにあります。
一方、財閥系大企業は事業分野の拡大を続けた結果、
経済合理性のないコングロマリッドのような体をなし
傘下には多数の不採算部門を抱えることになりました。
この時代のマイナス面を上げますと、下記が挙げられます。
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