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応用栄養学特論

828小説吉田学校読者:2008/12/06(土) 09:44:25
つくばでも目にできるマックスコーヒー。吉田学校のおじさんは、最近ヘロヘロなのですが、深夜、これを飲むと生き返る気がする。カロリー高いけど。

掘り出しニュース:愛されて30年 千葉・茨城限定「マックスコーヒー」とは
http://mainichi.jp/life/food/news/20081205mog00m040007000c.html

 一口飲めば甘さが口に広がり、忘れられない味になる「マックスコーヒー」。千葉県や茨城県など地域限定で販売されている「ご当地コーヒー」として親しまれている。人気テレビドラマなどでも「千葉のコーヒー」として取り上げられ、全国的な知名度もある個性的な商品だ。「マックスコーヒー」誕生の経緯や人気の背景を探った。【神足俊輔】
 ◇爽快な甘さ、「マッ缶」の愛称
 マックスコーヒーが誕生したのは、今から30年以上も前の1975年6月。コカ・コーラ商品を販売する「利根コカ・コーラボトリング」(野田市)が自社ブランド(PB)商品として、千葉、茨城両県で販売を始めた。コカ・コーラブランドではまだ缶コーヒーを取り扱っていない時代に、マックスは産声を上げた。
 同社によると、缶飲料としてのコーヒーは当時、それほど普及していなかったが、UCCなど先発組のメーカーが缶コーヒーの販売を開始。取引先から「缶コーヒーを自販機に入れてほしい」と要望が出たため、開発に踏み切った。当時の缶コーヒーは甘い味が主流。マックスコーヒーも自然と甘い風味になった。
 こくのある甘みは、コンデンスミルク(練乳)を使用しているためだ。他社の缶コーヒーは脱脂粉乳や牛乳を使用しているが、コンデンスミルクを使用することで「一味違った、爽快(そうかい)な甘さが残る」(利根コカ社)、独特の味わいになったという。
 91年4月からは、コカ・コーラ社の「ジョージア」ブランドと統合し、「ジョージア マックスコーヒー」と改名したが、味は誕生当時のまま。発売当初年間21万ケースだった販売数は右肩上がりに推移。07年には159万ケースを売り上げ、半分以上は千葉県内で消費されている。
 目立つ缶のデザインもマックスの特徴。「マッ缶」の愛称で親しまれる。販売当初、「とにかく目立つこと」を考え、黄色に波線が2本走るデザインを採用したという。
 ジョージアとの統合後には、波線が消えるなど、デザインが大きく変わった。しかし、数パターンの変遷を経て、現在のデザインは波線が復活。初代マッ缶に「原点回帰」している。
 驚くべきは、マックスコーヒーはこれまで、大々的なテレビCMや広告を出したことがないこと。利根コカ社でコーヒー飲料を担当する鈴木和幸さん(38)は「ほぼ口コミだけで売ってきたのに、相当に息の長い商品になった」と話す。最近は、缶コーヒーの世界も「無糖」や「カロリーオフ」などが流行だが、そんな中でも変わらぬ味で人気を保ち続けている。「初めて飲んだ缶コーヒーが『マックス』という人も多い。そうした顧客がずっと親しんでくれている」と鈴木さんは話す。
 茨城県で生まれ育ち、茨城県の情報を発信するホームページ「茨城王(イバラキング)」を運営する青木智也さん(35)もマックスコーヒーのファンの1人だ。「物心付いたときにはあって、初めて飲んだコーヒーがマックスコーヒー。少し大人になれた気がしました」と振り返る。青木さんは大学進学で東京都内に引っ越すまで、マックスコーヒーが地域限定商品とは知らなかった。「千葉、茨城とも農業が盛んで、疲れた時にガブガブ飲みたい味。地域性にも合っているのでは」と話す。
 「茨城王」では「マックスコーヒー物語」を掲載。「マックスコーヒーは千葉、茨城、どちらのものか」を考察するコーナーも。「間違ったことを書いたりすると、反響も大きい。そんな時、改めて『マックスはみんなに愛されているんだなあ』と実感します」と話す。
 千葉県内では、人口600万人突破記念缶(02年9月)などの限定缶も発売されてきたが、茨城県内ではまだない。「何かのきっかけで、限定缶ができるとうれしいですね」と青木さん。
 しかし、「全国的に有名になるのはうれしいけど、あくまでご当地コーヒーであり続けてほしい」とも。マックスのファンの胸中は複雑な思いなのだ。


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