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応用栄養学特論
1983
:
とはずがたり
:2018/06/08(金) 13:44:11
>>1982
帰国後は輸入代行業を手掛ける会社を経て、1985年に千疋屋総本店へ入社。1998年に社長に就任する。
「社長就任後3年間は父の経営手法を踏襲したが、千疋屋ブランドと消費者ニーズにズレを感じた」。それは同時に、父の経営方針と今の時代感覚のズレを意味する。店舗も品揃えも価格設定も何もかもが合わないと感じていた。案の定、消費者アンケートを行うと「敷居が高い」「店舗や包装のビジュアルがレトロ」「手が届かない」といった声ばかり。かつて消費者は高級志向で、1万円の値札がついていても飛ぶように売れた。しかし、時代の変遷とともにいつしかニーズとかけ離れていたのだ。業績も下降の一途を辿っていた。
このままではダメだ!と確信した大島博社長は、従来の経営方針との訣別を決意する。千疋屋ブランドのイメージを再構築すべく「ブランド・リヴァイタル・プロジェクト」を立ち上げ、新たなスタートを切った。
スイーツやジャムなどの商品展開を拡充、売上5倍に
まず、千疋屋総本店のイメージアップを図るべく「ひとつ上の豊かさ」をコンセプトに千疋屋ブランドの大改革を行った。海外留学で学んだブランディングの重要性を掲げ、ロゴや包装紙、容器を時代に合ったものに一新した。
それまでは高級フルーツを主力としていたため、高級志向の顧客に偏っており、中間層や若年層が少ないことが課題であった。アッパークラスに特化するのではなく、中間所得層にも手が届く価格帯の商品ラインナップを拡充した。フルーツを軸にケーキやスイーツ、ジャム、ゼリーなどの加工品に注力。手頃な価格で販売することで千疋屋の商品に馴染みがなかった客層へのアプローチを図った。
さらに「東京土産」としての需要をにらみ、東京駅や羽田空港に出店し、生ケーキや加工品の販売やインターネット販売を開始した。時代の変遷とともに日本人の味覚が変わり、糖度に加えてほどよい酸味、みずみずしさ、舌触り、コクにこだわるようになっていた。消費者のニーズに合うよう仕入れの選別基準に変化を加え、パーラーやレストランメニューの味を見直した。フルーツを使った加工品やケーキの品揃えや品質、味にこだわり何度も試行錯誤を繰り返し、新たな千疋屋の味を確立していった。人事制度や社員教育もテコ入れし、従業員の給料体系を年功制から能力給に切り替えた。
よくある話だが、世代交代に伴う苦労もあった。「当時は父が代表取締役会長に就任しプロジェクトに猛反対。父のもとで番頭としてやっていた古参の社員の風当りも強かった」という。商品構成は高級フルーツ主体から加工品のシェアを8割まで増やした。2018年3月期の売上高は約92億円を計上している。社長就任から20年弱で売上高は5倍に拡大した。
千疋屋ブランドを語るうえで欠かせないのが、明治期にのれん分けをした(株)京橋千疋屋(創業1881年)と(株)銀座千疋屋(同1894年)だ。それぞれ「千疋屋」の屋号は同じだが、資本関係はない。
大島博社長は千疋屋ブランドとしての質の向上を目的に、2008年から「千疋屋3社交流会」を開催し、小売りや製菓など各部門の責任者が集まり会議や試食会を行っている。運営母体は違うが「千疋屋」という日本を代表する老舗のブランドを持つ以上、品質の向上に余念がない。同じケーキでもフルーツの品種も違えば味も異なる。食べ比べることでお互いに商品開発や社内上の課題のヒントやアイデアを得られるメリットがあるという。3社ともに切磋琢磨しながら「千疋屋」の看板を守り続けている。
千疋屋が「別格」の秘密
フルーツには旬があり、天候や環境で味が変わる。生ものなので他の業種に比べて在庫のロスが出やすく、実は非常に新規参入が難しい業界だ。仕入れもこだわっており、特定の農家と直接契約をすることはあえてしない。「つねに生産者が良いものを作れるとは限らない。天候変動もあるので直接契約はリスクでしかない」。旬の上質なフルーツを探して仕入れているからこそ、価値がある。
千疋屋総本店の高級フルーツは市場に出回っているフルーツとは一線を画している。7種類のフルーツを盛り付けた「千疋屋スペシャルパフェ」や「フルーツジュース」、「マンゴーカレー」も秀逸だ。筆者の個人的な感想を言うと、フルーツ本来の味が濃厚で、一度味わうと他のものでは物足りなくなる。千疋屋のフルーツは“別格”だった。
今年で184年目を迎える千疋屋本店は1代約30年のサイクルで変革を遂げている。大島博社長の最大の功績は、敷居が高いイメージが浸透していた千疋屋ブランドを見直し、新しい顧客層の開拓に成功したことだろう。老舗であればあるほど、従来のやり方と決別し、新たな経営方針を打ち出す苦労は並大抵のものではない。事業を再構築したその勇気が新たな千疋屋の礎となった。
著者:田中 祐実
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