[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Tohazugatali Economic Review
1898
:
とはずがたり
:2018/03/04(日) 19:57:24
>>1897
「どうしてボクは生まれてきたの?」
社長就任から4年が過ぎた2008年9月、リーマン・ショックが起きた。影響は半年後に表れ、受注が8〜9割減という状態になり、ついに赤字に陥った。
自らの給与を手取り2万円にし、貯金を取り崩した。赤字があと3か月続けば、資金が底をつくという状態だった。
絶体絶命の危機を乗り越えたのは、海外生産に舵かじを切るメーカーに向け、海外生産用のゲージ(測定機具)の受注を確保したことだ。熟練工がミクロン単位で磨き上げるゲージは、高い加工技術が求められ、海外での現地調達が難しかった。自動車メーカーの生産拡大を追い風に、需要は急激に膨らんだ。
…以前、こんな話を母から聞いた。病魔と闘い、小学校にも行けなかった兄がある日、「どうしてボクは生まれてきたの?」と母に尋ねたという。返答に困った母は、口を閉ざしてしまった。
もし、兄が生きていれば、父の後を継ぎ、社長としてその答えを見つけられたかもしれない。兄の代わりに生まれた私は、その答えを探さなきゃいけない。
休廃業が相次ぐ小規模事業所
中小企業庁によると、中小企業の経営者年齢は高齢化しており、2016年の休廃業・解散件数は2万9583件で過去最多となった。資本金1000万円未満の小規模企業は、後継者不足や休廃業が進み、1999年の423万社から2014年に325万社へと落ち込んでいる。
父が亡くなって13年が過ぎた。
「私が社長になる」。残念ながら、父にこの言葉を伝えられなかった。寝たきりでもいいから、社長としてふんばっている私を見てほしかった。
安定した経営基盤の構築や事業継承は、多くの中小企業にとって課題だ。熟練の技術者は高齢になり、若手の採用・定着もままならい。
だから、大企業では当たり前の社内研修を始めた。ものづくりの現場は、職人気質で口数が少なく、ぶっきらぼうな社員が多い。あいさつや整理整頓を徹底。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)のあり方、品質・コスト管理などを一から指導した。
「自分たちは先輩から技術を盗んで覚えた」とベテランは主張する。
これに、「何も教えてもらえません」と若手はとまどう。
私は、ベテラン社員を説得し、「今の子は自分から行動しない」「教えてあげればきっとできるから」と考え方を改めてもらった。人材の採用、育成、技術継承は町工場が生き残るために最も大切なことだ。
小さくても強い工場になる
少子化などで国内の市場は縮小していく。大田区にある製造工場は、従業員9人以下という小規模事業所が8割を占めている。今後、小さな町工場が生き残り、存在感を出すにはどうしたらいいか。
熟練工は、当たり前のことを、当たり前のようにやってきた。だが、その技術力やクオリティーを十分にアピールできていない。どんなに素晴らしいものを作っても、自分の製品をすごいとは言わない。それが美徳のように思っているからだ。
IT化による生産管理の効率化、製品のPR、そして、新たな市場開拓……。たとえ小さな工場であっても、「強い工場」にならなければならない。
これまで自動車メーカーからの受注が主だったが、医療、電機、機械など別業種にも取引先を広げることを考えた。そして、国内だけにとどまらず、海外からの受注を受けることも目指す。
「社員が大田区にマイホームを建てられるような会社にしたい」
それが、この会社で社長にしてもらった私の夢になった。
プロフィル
諏訪 貴子( すわ・たかこ )
1971年、東京都大田区生まれ。成蹊大工学部卒、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。2004年、父の急逝に伴い、ダイヤ精機の2代目社長に就任。「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。著書に「町工場の娘」(日経BP)など。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板