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Tohazugatali Economic Review

1025とはずがたり:2005/11/22(火) 21:56:33
>>1024も俺です

中山素平氏死去:経済界、悼む声が相次ぐ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/wadai/news/20051123k0000m020098000c.html

 中山素平元日本興業銀行頭取の死去が伝えられた22日、経済界から悼む声が相次いだ。

 中山氏と財界活動をともにした平岩外四元経団連会長(東京電力顧問、91歳)は「危機に陥った多くの企業を救済し、粘り強い交渉力と経営理念で、日本経済の高度成長に大きく貢献された」と、日産・プリンス自動車の合併(66年)や八幡製鉄・富士製鉄の合併による新日本製鉄の誕生(70年)など大型再編の立役者となった故人をたたえた。

 奥田碩日本経団連会長は「経営の第一線を退かれてからも、国際大学の創立に取り組まれ、未来を担う国際的ビジネスマン育成や国際交流推進に尽力された。明治生まれの気概と気骨に富んだ中山さんのご逝去は非常に残念」と惜しんだ。また、北城恪太郎経済同友会代表幹事は「66年に発足した産業問題研究会でわが国産業の構造調整と新しい秩序形成、国際競争力強化に尽力された」と振り返った。

 また、斎藤宏みずほコーポレート銀行頭取は「(旧興銀)入行当時の頭取であった中山さんの『問題は解決されるためにある』との言葉を現在も経営の軸に置いて銀行運営にあたっている」と大先輩をしのんだ。[竹川正記]

 ▽「小説日本興業銀行」著者の高杉良氏 ご高齢でもあるし、覚悟はしていたが、一時代を画した方だけに寂しさを禁じ得ない。小説の取材などで30年近い付き合いだが、率直にものを言う私を大事にしてくれ、時には経営者の「老害」を指摘する私とやり合うこともあった。非常に気を使い、身辺のきれいな方だった。

 興銀で若くして頭角を現し、多くの企業を興し、助けてきた。(代表幹事を務めた)経済同友会では、提言する団体としてリーダーシップを発揮した。日本がまだ貧しい時代に力を尽くされ、戦後の焼け野原から始まった日本経済にとって、中山さんというリーダーが存在したことは、時代が中山さんを求めたとも言える。

 一番すごいと思ったのは私心がないこと。「興銀のため」ではなく、「国益、国民のため」を常に考えていた。あれだけグローバルに、大きな視点でものごとを見ることができる経済人は、中山さんが最後ではないだろうか。「なぜ人に等級が付けられるのか」と叙勲を一切拒否したことも、中山さんの持ち味だった。

 興銀の「中興の祖」と呼ばれていたが、富士、第一勧業銀行と統合して「みずほ」が発足したことについては「(当時の頭取の)西村(正雄)君が良くやった。西村君にしかできなかった」と、喜んでいた。「興銀」の名が消えるという寂しさはあったと思うが、日本長期信用銀行の破たんなどで、非常に危機感を抱いていたようだ。感情論に流されない合理主義者の一面もあった。

 2年ぐらい前に、国際大学の東京事務所でお会いしたのが最後となった。1年前ごろからは、電話にも出られない様子で心配していた。(談)

毎日新聞 2005年11月22日 21時20分


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