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近世日本史スレ

57とはずがたり:2005/02/12(土) 18:03:45
>>52

日宋貿易 平安時代末期 平清盛

瀬戸内海航路を整備
福原京遷都
大輪田泊に経ケ島を築く
牛窓、敷名の泊(沼隈町)の港の整備
音戸の瀬戸の開削

日明貿易 室町時代 足利幕府

応永8年(1401)から17年にかけて6回、永享4年(1432)から1世紀の間に11回の遣明船を派遣し、日明貿易を行いました。
「入明諸要例」(応仁2年:1468)には、500石から2,500石の船が
門司、
富田(周防富田→新南陽→周南市)、
上関(原発立地に揺れる。熊毛郡。>>54の熊毛浦とは上関のことか?)、
深溝(山口県吉敷郡現山口市の深溝か?)、
揚井(柳井)、
尾道、
鞆、
田島(沼隈郡内海町田島か)、
院島(因島)、
牛窓
に配され、遣明船として用いられていた。

これらの時代を通じて、瀬戸内海の航路は、大阪湾から関門海峡までの山陽側の航路でした。
今に至るまで瀬戸内を挟んで山陽本線と予讃本線の格差に現れているなぁ。。
古代に於いても山陽側が選ばれたのは寄港地に恵まれたと云う事か。観音寺から今治まで内側に湾曲してるし遠回り?


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