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石油・LNGなど=エネルギー総合スレ=

315とはずがたり:2005/07/20(水) 16:50:22

535.カルテックス社
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page048.html#535
 かつてはセブン・シスターズといわれた7社の国際石油会社が支配する時代が続いたが、最近の合併・提携で集約化が進んでいる。カルテックスはセブンシスターズ時代のカリフォルニャ・スタンダードとテキサコの合弁会社である。この両社は米国以外ではカルテックスとして進出していたので世界的に知られた石油会社であった。しかし現在カルテックスが活動しているのはインドネシアだけである。⇒カルテックス

 カルテックスのインドネシア法人CPIはスマトラ島中部で石油生産を行っているインドネシア最大の石油生産会社である。70万b/dの生産はインドネシアの石油生産の約半分を占める。インドネシア人従業員2万6千人がいる。

 1930年カルテックスはスマトラ島中部に鉱区を得て、探鉱に乗り出し第二次世界大戦前にドュリ(Duri)油田を発見した。戦時中、近隣で日本がミナス油田を発見し、戦後、ようやく出荷という時点で終戦になったという日本には浅からぬ因縁の油田である。

 スカルノ大統領当時のスマトラ島独立運動のプルメラの反乱には米国の影がチラホラした。性急な国有化にはしるスカルノ政権に対して米国の会社の利権を守るためCIAが暗躍したが、1958年3月12日にプカンバルを政府軍が占領し反乱は鎮圧された。

 スカルノ政権下の「新鉱業法」では石油資源の国有化と石油事業の国営化が定められ、民間会社は国営公社との協同の場合に限られた。カルテックスはプルタミン(→531)と請負契約を結び、利権保有者から請負者におとしめられた。

1965年3月、スカルノ政権は「全ての外国資本を国有化する」と明言した。この時点で国有化圧力の前に戦前からのシエル石油はインドネシアを見限って撤退し、カルテックスもゾンビ同然であった。9月30日事件(→384)によるスカルノ大統領の失脚でカルテックスは生き返った。カルテックスの利権が保証されることを条件に米国からの援助が再開された。カルテックス問題は9月30日事件のCIA陰謀説の根拠の一つとなっている。

 スハルト政権によってカルテックスの存在は安泰となったが、スハルト政権も1960年の石油国営化の方針を堅持し、石油を外国石油会社に丸投げしたわけではない。カルテックスはあくまで請負者であるが、それでもインドネシアに踏みとどまったのはミナス油田の生産量の豊かさが請負契約のハンディ(中東等との比較において)を上回った。

 2001年にCPIの20年契約の期限が一部の地域で切れ、利権はインドネシアに返されるが、問題はインドネシア側の受け皿をめぐる国と州の対立となった。リアウ州は州の石油会社BSP(PT Bumi Siak Pusako)を設立し、国に対して石油利権の州への委譲を求め、国と州のジョイントベンチャーとして運営されることになった。ちなみに同地域の石油産出量は7万b/dである。


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