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石油・LNGなど=エネルギー総合スレ=
314
:
とはずがたり
:2005/07/20(水) 16:50:01
531.プルタミナ/国営石油公社
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page048.html
#531
外国企業の国有化の中で石油も例外ではなく石油事業の国有化の機運にのり、1961年に北スマトラでプルミナ(Permina)、中部スマトラでプルタミン(Pertamin)、ジャワ島でプルミガン(Permigan)の3国営石油公社が設立された。この中で陸軍が実権を持つプルミナが他者を吸収する形でプルタミナが結成され、軍人出身のイブヌ・ストウォ(Ibunu Sutowo)がプルミナからプルタミナ初代総裁に就任した。
プルタミナ=PERTAMINAはインドネシアにおける石油・ガスの開発・生産・輸送・販売を独占している。インドネシアにはプルタミナ・マーク以外のガソリンスタンドはなかった。
その後、産油国が自らの石油会社を持ち石油事業に乗り出すようになったがインドネシアはその先鞭であった。他産油国の販売部門からの国有化と異なり、プルタミナは生産の現場からの国有化であった。
おりからの石油ブーム(→486)でインドネシアには棚ボタ式にドルが流れ込んだ。石油を一手に扱うプルタミナの権勢は“国家の中の国家”といわれるほどであった。鉱山エネルギー省の役人はプルタミナから給料以上?の手当てをもらった。プルタミナは設立当初から軍の聖域であり、豊富な資金は軍の裏財源としてスハルト大統領を支えた。
世界から石油の開発、販売、タンカーなど世界の石油関係者のプルタミナ詣が続いた。当時のストウ総裁の娘の結婚式にロールス・ロイスが何台も届いた、等々数々の豪勢な挿話を残している。
プルタミナは石油資金で航空、ホテルなどあらゆる事業に拡大した。クラカタウ製鉄、バタム島開発も援助した。インドネシアの港に入らない大タンカーを何隻もインドネシア石油輸送のため高値で契約した。いくら事業を拡大しても世界の金融機関がプルタミナに金を貸すため、事業の拡大に歯止めがなかった。
石油ブームが冷えた際に拡大しすぎた事業による経理の乱脈が明らかになり、バペナスの監査の結果、債務総額は100億㌦を越えた。ストウ総裁もついに1976年に解任された。解任後のストウ氏は財閥グループを維持した。2000年1月に死亡、政界からの錚々たる参列者の名が注目をあびた。
ストウ解任以降、プルタミナは5人の大臣からなる政府委員会の下に鉱山・エネルギー省の監督下に政府の規制を受けるようになったが、独占を保証された超優良企業として、4万人の従業員を抱える東南アジア一の大企業として君臨してきた。一方では独占は利権構造につながり、ファミリーやチュコン企業がぶら下がっていた。
通貨危機を機会に世界銀行等の圧力により規制緩和が実施され、プルタミナの独占は廃止される計画である。プルタミナ製油所の売却が検討されており、州の石油会社も設立され、インドネシアの石油ビジネスも競争の時代に入った。
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