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石油・LNGなど=エネルギー総合スレ=
2546
:
とはずがたり
:2018/07/16(月) 23:41:51
>社名の「シェル」は、マーカス氏がアクセサリー用に輸出して最初の成功を収めた三浦海岸の貝殻に由来する。
>「セブン・シスターズ」と呼ばれる石油メジャーの源流は、実は日本にあったのだ。
すげえ!世界中の誰もが知ってる貝殻マークのシェル(子供の頃,レゴのガソリンスタンドについてたブランドもシェルだった)が三浦海岸の貝殻発祥だったなんて!!
ロイヤルダッチを追い込んだスタンバックは勿論今のエクソンモービル。どちらも日本撤退気味である。JXTGがでかくなりすぎた感もあるがどう対抗していくかお手並み拝見である。
【昭和シェル石油】出光が愛した企業の波乱万丈な「M&A遍歴」
https://maonline.jp/articles/archives_showa_shell180703
2018-07-05
懸案だった出光興産<5019>との合併が、ようやく実現に向けて動き出した昭和シェル石油<5002>。長らく同族経営で大型M&Aとは無縁だった出光と違い、昭和シェル石油の成り立ちは「M&Aの歴史」そのもの。しかも同社は、ある国際石油メジャーの設立とも深く関わっている。
出光との「世紀の大再編」に沸く
2018年6月27日、突如として状況が動いた。「昭和シェル石油と出光興産の経営統合に猛反対していた出光創業家が賛成に転じ、2019年春に実現する見通しとなった」と伝わったのだ。情報が伝わると、株式市場は直ちに反応した。昭和シェル石油株は一時20%近く値上がりし、出光興産の株価も一時10%上昇した。両社の「世紀の大合併」が株式市場でも高く評価された証拠といえるだろう。
出光興産にとっては初の経営統合であり、それまで経験のなかった創業家が抵抗していたのも理解できる。一方、昭和シェル石油は数々の経営統合や買収を成功させてきた「M&A」のプロ。形の上では「出光興産に買収される」ことになるが、「経験値」の高い昭和シェル石油が合併後の主導権を握る可能性も十分ある。
昭和シェル石油の源流は、1876年にマーカス・サミュエル氏が設立した英貿易会社サミュエル商会の横浜支店にさかのぼる。同社は当初、陶器や漆器、雑貨を取り扱っていたが、やがて機械、綿織物、砂糖、鉄などの輸入や茶、生糸、米、木材、石炭などの輸出へとビジネスを拡大する。
大きな転機になったのは石油産業への参入だ。サミュエル商会はロスチャイルド系の石油販売会社ブニトからロシア産油の東洋市場での独占販売権を得る。
世界のエネルギーを変えた「タンカー輸送」
サミュエル商会は当時としては非常に珍しかったタンカーを導入し、輸送費の大幅な削減を実現した。その頃の灯油は船舶火災防止のため5ガロン缶に詰められ、さらにそれらを2缶ずつ木箱に梱包して輸出しており、梱包のための手間と費用がかかる。これが石油普及の足かせになっていた。
船体タンクに直接灯油を詰めるタンカーの本格導入により、低コストでの大量輸送が可能に。それに加えてタンク・クリーニングシステムを採用し、灯油を輸送した帰路に東洋の米や砂糖、茶などを運べるようになったことでサミュエル商会の利益増に貢献した。
サミュエル商会の石油ビジネスは日本が主戦場となる。当時は照明用の灯油が主力商品で、関東・東北、関西、九州の3ブロックに代理店を置いて販路を拡大した。タンカー輸送に対応するため、1892年に和田岬(神戸市)に油槽所を開設。後に平沼町(横浜市)にも設置する。
マーカス氏の息子たちは1897年にサミュエル商会系の石油輸送販売会社シェル・トランスポート&トレーディング・カンパニーを設立した。社名の「シェル」は、マーカス氏がアクセサリー用に輸出して最初の成功を収めた三浦海岸の貝殻に由来する。
その頃、蘭ロイヤル・ダッチは当時オランダ領だったスマトラ島で石油を採掘・精製し、極東での石油販売を目指していた。しかし、ジョン・ロックフェラー氏が1863年に設立した米スタンダード・オイルとの熾烈な競争に苦しむ。一時は破産寸前にまで追い込まれ、1900年にロスチャイルド家の支援を受けた。
ロイヤル・ダッチは経営再建に当たり、従来のような採掘・精製だけでなく、製油所と石油消費地を直接結んで灯油販売に乗り出す方針を打ち出す。だが、ロイヤル・ダッチには製油所から消費地へ灯油を運ぶ物流手段が足りなかった。当時のロイヤル・ダッチが保有するタンカーは、わずか3隻にすぎなかったのだ。
「国際石油メジャー発祥の地」だった日本
そこでロイヤル・ダッチが目を付けたのが、シェル・トランスポート&トレーディング・カンパニーが持つ16隻のタンカー船団だった。一方、ロシア産石油に依存していたシェルにとっても、ロイヤル・ダッチの持つ東南アジアの油田は魅力的だ。さらにスタンダード・オイルの値下げ攻勢で市場を奪われたシェルは、ロイヤル・ダッチと提携するか、それとも事業売却して石油ビジネスから撤退するかの選択を迫られていた。
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