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石油・LNGなど=エネルギー総合スレ=

2073とはずがたり:2016/03/19(土) 19:41:17

 元年から続いた都市ガスを液化石油ガス(LPG)からLNGに転換するプロジェクトは、すでにほぼ目処がついたが、事業の将来には暗雲が立ちこめていた。

 12年に特定規模電気事業者制度が導入され、新規の電力事業参入が可能となったことが引き金になり、九州電力をはじめ既存の電力各社は、大口取引先への大幅値下げや、家庭向けオール電化のサービス拡大など攻勢をかけていた。

 「このまま守勢を続けていたらガス事業はじり貧だ…」。こう考えた田中が「次の一手」に挙げたのが基地構想だった。川原も「やはりそれしかないでしょう」と賛同し、以後2人は構想実現に向け、足並みを一致させた。

 とはいえ、年間売上高1700億円前後の西部ガスが、700億円もの総事業費を捻出するのは容易ではない。そもそもガス事業は薄利多売だ。下手をすれば多額の有利子負債により経営が傾きかねない。経営陣だけでなく中堅からも慎重論が噴き出した。
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 それでもリスクを取ることに二の足を踏み、ある役員はこう言い放った。
 「家庭向けの需要は予測ができるが、企業の大口契約は景気に左右される。大型LNG基地が完成したところで販路が確保できる保証はないじゃないか!」

 そんなある日、別のある役員は田中にこう耳打ちした。
 「お前の言っていることは間違っていない。でも自らが決断できる立場になるまでもう少し待て…」

 社内で基地建設が議題として取り上げられるようになったのは17年6月。田中が常務取締役に就任した後だった。
              × × ×
 田中は入社以来、足かけ30年にわたって経理畑を歩んできた。ただ、「堅物」「細かい」「コストカッター」という一般的な経理マンのイメージとはずいぶんかけ離れている。

 田中は福岡県立福岡中央高から青山学院大経営学部に進んだ。「世界を股にかけた仕事がしたい」と日本交通公社(現JTB)を志望したがかなわず、昭和47年に西部ガスに入社した。

 初任地は熊本支店営業課。田中は「バリバリの営業マン」を夢見たが、わずか1年後の48年10月、佐世保支店総務課経理担当に異動を命じられた。不本意ではあったが、経理を学ぶにつれ、数字を通じて社業すべてを掌握できる面白さにのめり込み、ある時期から「経理の常識」を覆していくようになる。

 「経費は使い道とタイミングさえ間違わなければ、使うためにある。経理の仕事は紙1枚のコストを下げることじゃないんだぞ!」

 62年7月、本社経理課長となった田中は部下たちに「攻めの経理」をひたすら説いた。

 営業部門の交際費が急に伸びても「営業が何かを仕掛けているな」と考え、細かいことをとやかく指摘しなかった。技術部門がガス導管新設に伴う予算案を出してくると「もっと太い導管にしろ。この地域は間違いなく需要が増える。今ケチっても意味がないじゃないか」と増額を求めた。

 国税局が支出の一部を経費と認めず、指摘すると「それはあんたらの論理だろ。おれたちの常識では必要経費なんだ!」と食ってかかった。
 いつしか田中は「経理の異端児」として、ある種の尊敬を集めるようになっていた。
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 平成20年4月、第9代社長の小川弘毅(72)=現相談役=が退き、田中は第10代社長に就任した。


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