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政治思想総合スレ

641さきたま:2017/10/05(木) 15:50:48
>>640続き

二つ目は、菅直人氏の考え方である。
2003年のマニフェストを作るに当たり、私も政権プランの作成などに関与したのだが、最初の見開きページは菅代表の親筆ということになり、最後に出てきた文書が「最小不幸社会」と題するものだった。
政治の目標は、病気や貧困、戦争など国民の「不幸」の原因を取り除くことであり、国民の「幸福」は個人の内面にあるものだから、政治は関与するべきではない、というのが菅氏の考えである。
確かに一つの見識であるには違いないけれど、政治というものが、そのようなドライなものであって良いのか、個人の内心に関わることも含めて、政治とは、国民の幸福の最大化を図るためにも様々な政策を展開すべき存在ではないのかと思う私は、そのペーパーを見た瞬間から、個人的に強い違和感を感じた。
マニフェスト冒頭のその文書は、我々に諮られることもなく、党首ご親筆ですからご一任下さいということで決定されたのだが、初代マニフェストとして比較的好評だった民主党マニフェストに汚点が残ったように私は感じたのだった。
このように、枝野氏、菅氏ともに、国家や共同体は、国民個人の名誉であるとか、幸福感であるとか、その内心には極力関与すべきでないという、個人主義観が強いのが特徴だと思う。
つまり、個人を、国家に代表される共同体と切り離し、共同体が個人の領域に関わることをよしとしないところ、個人の国家からの自由を重んずるところに、菅氏、枝野氏のリベラリズムの共通項があるように感じるのだ。
こうした考え方の延長線上に、国旗や国歌についての捉え方、道徳教育、情操教育についての国家や共同体の関与についての冷淡さが存在するのだろう。
かくいう私も、国家が国民の内心にずかずかと踏み込み、介入するような社会には反対なのは当然である。
しかし、国際社会で日本人や日本国が名誉ある地位を得るために懸命にサポートし、努力するのが政府の第一の役割のひとつだし、単に国民の不幸の要因を減少させるだけでなく、日本人の幸福感の向上のために知恵を絞って各種の政策を展開するのが、政府や公共体の使命であるというのが、私の感覚である。
枝野さんや菅さんのような、国民の名誉や幸福感は個人の内心領域であって極力国家は関与すべきでないというリベラリズムが我が国のリベラル政治家にあまねく存在する特徴ではないという反論もあるかも知れないけれど(現にお二人とは見解の異なる「リベラル派」議員もいるようにも思える)、私個人の「リベラル体験」と違和感は、象徴的には、以上申し述べた二つの体験にある。


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