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政治思想総合スレ
312
:
とはずがたり
:2007/12/21(金) 15:00:30
浅田彰【「J回帰」の行方】
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice0003.html
『VOICE』2000年3月号(PHP研究所)
2000年になって振り返ってみると1990年代の日本文化を「J回帰」という言葉で特徴付けられるのではないかと思う。J? JAPANのJである。
それは「J‐POP」というネーミングから始まった。中身は「洋楽」に対して「邦楽」と呼ばれていたものと大差ない。ただ、「J‐POP」というと、いかにもポップな、しかし日本的で身近な感じがする、というわけだ。それに追随したのが「J文学」である。「渋谷系」の若者の、ポップな、しかし背伸びすることのない等身大の生活を描いた「クズ小説」(秀実)の類が、このネーミングによって一躍脚光を浴びることになったのである。
知的な領域で起こった日本回帰現象もそれと無縁ではないだろう。たとえば、90年代の論壇・文壇で活躍した福田和也の場合。彼は、フランス文学研究者だった頃から、フランス人の隠したがる対独協力文学者を研究するといった批評的な悪意を持ち合わせていた。だが、パリで日本人留学生がプルーストの手稿に群がる姿への違和感を抑えきれなくなった彼は、ついにフランスを捨て、日本に回帰する。とはいえ、パンク右翼を自称する彼の日本回帰は、あくまでも表層的な模像(シミュラクル)としての日本への回帰――「J回帰」だったというべきだろう。
この福田和也の「J回帰」に、若い批評家たちも追随する。たとえば、80年代に一見コスモポリタンなポストモダン・アートを紹介していた椹木野衣は、90年代になると、サブカルチャーばかりがはびこる「悪い場所」としての日本で畸形的な発展を遂げた「日本・現代・美術」――いわば「Jアート」に力点を置くようになった。前回紹介した水戸芸術館での「日本ゼロ年」展はそのマニフェストである。また、デリダ研究でデビューした東浩紀も、彼によればサブカルチャーよりさらに土着的なものである日本の「おたく文化」(たとえば日本の貧しい都市の風景の上にSF的なイメージを重ね描きするアニメ)に足場を置いて、新たな「J批評」を展開しようとしている(*)。そこからは、80年代のポストモダニズムは、日本という条件を忘れた表面的なコスモポリタニズムとして批判されるのである。
繰り返すが、このような日本回帰の対象は、あくまでもサブカルチャーや「おたく文化」の日本なのであって、伝統の日本ではない。その意味で、それは「J回帰」と呼ぶにふさわしいだろう。
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