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政治思想総合スレ
277
:
とはずがたり
:2006/01/07(土) 11:12:00
公安もそろそろ職安送り?
成田の反対運動のおかげで高コストの海上空港ばかり作られるようになったのではないかな?
高い公共事業費を負担させられてる可哀想な我々国民は過激派を徹底的に弾圧しよう〜♪
ちゅーか大衆運動に転身した元過激派は自民党にも連合にも共産党にも見放された人たちの受け皿としてその存在意義は非常に有意義なんでは?
過激派テロ・ゲリラ 昨年初の「発生ゼロ」 活動路線“変質” 警察庁調べ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060106-00000020-san-soci
時限式の発射・発火装置などを使った過激派(極左暴力集団)によるテロ・ゲリラ事件が昨年、一件も発生しなかったことが警察庁の調べで分かった。現行方法の統計を取り始めた昭和五十年以降、発生ゼロの年は初めて。時代の推移で過激派の活動路線も変質した形だが、警察庁は、成田空港の暫定平行滑走路延伸問題などをめぐって今年も過激派がテロ・ゲリラを起こす可能性があるとして、引き続き警戒を強めている。
過激派は昭和三十二年、路線をめぐる対立などから日本共産党を離党・除名となったメンバーが中心となって誕生。三十年代は学生運動の中に次第に勢力を拡大して「六〇年安保闘争」に取り組みながら、首相官邸乱入事件(三十五年)などを引き起こした。
六〇年安保闘争後は分裂を続けたが、四十年代に入り、中核派▽共産同(社学同)系▽社青同解放派(後の革労協)−の主力三派が発足させた「三派系全学連」が軸となり「七〇年安保闘争」時代に突入した。
「新宿騒乱事件」(四十三年)や「東大安田講堂事件」(四十四年)など、鉄パイプや火炎瓶によるゲリラ闘争を連続的に起こし、七〇年安保闘争終了後は成田闘争を中心とした活動を展開。四十六年ごろには、集団武装闘争からテロ・ゲリラを主体とした戦術へと転換していった。
テロ・ゲリラについての明確な定義はないが、警察庁は攻撃対象が個人の場合にテロ、施設などの場合にゲリラと区別している。四十年代まで、爆弾事件のみを集計していたが、五十年からは現行の手法でテロ・ゲリラを対象に統計を取り始めた。
成田空港の開港を四日後に控えた五十三年三月二十六日には、過激派による管制塔襲撃事件が発生するなど、この年は百二十八件のテロ・ゲリラが発生。五十年以降で第一のピークとなった。
六十一年には、天皇陛下(昭和天皇)の在位六十年記念式典や東京サミットなどをめぐり、八十九件のテロ・ゲリラが発生して第二のピークを迎えた。さらに、平成に入ってからは、即位の礼・大嘗祭のあった二年に百四十三件と統計を取り始めてから最多の件数を記録した。
しかし、過激派はその後、労働運動や大衆運動を通じた組織拡大に重点を移し、テロ・ゲリラの発生件数は六年以降、毎年一ケタ台で推移してきた。
それでも、成田空港の暫定平行滑走路延伸問題(北側延伸)をめぐり、警察庁では「反対同盟とこれを支援する過激派が引き続き成田国際空港会社や千葉県などに対する抗議行動、現地闘争に取り組むとみられる」と分析。その上で、「北側延伸に伴う公聴会や工事開始が行われた場合には、テロ・ゲリラ事件を引き起こす恐れも否定できない」と警戒を強めている。
(産経新聞) - 1月6日2時35分更新
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