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雑談スレ

4196とはずがたり:2005/02/14(月) 22:32:55
>>4037 >>4046
小高の人達の英断を心から称えようじゃないか。誰だよ村を捨てたなんて下らん批判する奴は。山奥に一人で住めってんだ。

「村中が家族」25戸が集団移転へ 新潟・川口町小高
http://www.asahi.com/national/update/0214/006.html

 新潟県中越地震で被災した川口町小高地区で、集団移転の準備が進む。沢筋で支え合って暮らしてきた25世帯106人。24戸が全壊し、震度7を観測した町内で小高だけは避難勧告がなお続く。だが、集団移転すればここに再び住むことはできない。雪に覆われた仮設住宅で、住民たちは生まれ育った土地を離れる覚悟を固めた。

 「若い衆に任せているから」。石坂忠雄さん(74)とスギさん(73)夫婦は集団移転についてあまり語りたがらない。

 ただ、賛成したのは、たとえ小高に住むことができなくても、村のみんなとこれからもつながっていたい、離ればなれにはなりたくない――そんな思いからだという。「小高は村中が家族のようなものだ」

 集団移転を決めたのは昨年11月。全世帯が賛成した。移転先は近くの山あいか、町中心部に近い約5キロ離れた西川口地区か。話し合いを重ね、1月27日に西川口に決めた。国の防災集団移転促進事業の適用に向けて今後手続きを進める。

 中心になって話をまとめた大渕新司さん(56)は「本心では小高に戻りたいとみんな思っている。土地は売らないし、農業もする」と話し、「10年20年かけて西川口に新しい小高を作っていく」と決意を込めた。

 「村なんかつぶれてもいい。大切なのは子供たちの将来」。大渕トシさん(75)はそう話す。雪遊びの歓声が仮設住宅に響く。

 20歳で小高に嫁いだ。よそ者扱いされた。明けても暮れても働いた。

 30代半ば、小学校の先生が「母親学級」を始めた。文集に思いの丈をぶつけ、野菜を持ち寄って一緒に料理し、社交ダンスを踊った。大人も子供も総出で開く9月の運動会が楽しみだった。小高も悪くないと思った。

 だが、若い時分は55世帯あったのに、人がどんどん町に下り始めた。6世帯あった隣近所はみんないなくなった。夫の死後27年間つけ続けた日記は地震で土砂に埋まった。

 小高からさらに山道を5キロほど奥に進むと、山(やま)ノ相川(あいかわ)地区に至る。73年、最後まで残った12世帯が西川口に集団移転し、無人となった。黒島二郎さん(77)は「子供たちのためにも移転しかなかった」と振り返る。

 小高の大渕千恵子さん(54)によると、山ノ相川の人たちは移転後も畑仕事や墓参りで山ノ相川に通った。だが、やがて墓も移し、行き来する人は減っていった。小高も同じ道をたどるのかと大渕さんは寂しく思う。

 「年寄りは先がない。息子たちに反対するわけにはいかない」と明かす人もいる。「村を捨てた」「決めるのが早すぎる」と外の人が小高を非難する声も聞こえてきたという。

 ある男性(55)は「小高に生まれ、小高で死ぬつもりだった。でも、もう戻れない。集団移転しかない」と口にした。

 2月2日、住民たちは小高を訪ねた星野和久町長に対し、家を建てるのが難しい高齢者のために、町営住宅を造ることなどを要望した。 (02/14 13:42)


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