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鉄道貨物輸送研究スレッド
2803
:
荷主研究者
:2020/07/01(水) 21:24:37
>>2802
https://www.sakigake.jp/news/article/20200624AK0004/
2020年6月24日 8時2分 秋田魁新報
歴史刻んだ鉄路惜しむ声 秋田臨海鉄道事業終了へ
http://tohazugatali.web.fc2.com/kamotsu/20200624akita01.JPG
臨海地帯の工場を背景に走る秋田臨海鉄道=1972年5月
http://tohazugatali.web.fc2.com/kamotsu/20200624akita02.JPG
秋田市の臨海工業地帯の貨物輸送を支えた秋田臨海鉄道が、来年3月で事業を終える。半世紀に及ぶ同社の歴史に関わったOBは、数々の思い出を口にしながらさみしさをにじませた。現役社員は最後の日まで安全運行することを誓った。
今年3月末で退職した田中恒弘さん(68)=三種町鯉川=は、同社が設立された1970年に入社。翌年から貨物輸送事業がスタートした。往時は木材や石油、セメントなどの各工場に十数本の引き込み線が引かれた。「経済が右肩上がりで、良い時代だった」と振り返る。
だが、鉄道輸送は徐々にトラックにシフト。大王製紙の秋田港周辺への進出に貨物量増加の期待を掛けるも、計画は消えた。ロシアなどへの貨物を鉄道と船で運ぶ「環日本海シーアンドレール構想」も、実現を見ぬまま。「世界につながる線路になると夢を持った」
苦難の連続だったが、明るい思い出も多い。86年夏、県などが主催する「秋田博」が秋田市向浜で開かれ、臨海鉄道線にアクセス用の臨時列車として客車が乗り入れた。
県からの提案に、社内では当初、採算が取れないとして反対意見が多かったが、徐々に社員から「挑戦してみよう」との声が上がったという。運行時は系列の旅行会社にいた田中さんも、添乗員として臨時列車に乗車。「鉄橋から秋田運河を見下ろした時、とても美しい風景だと思った」と語る。
退職前の2018年、臨海鉄道線に直結するJRの貨物線で、乗客を乗せた「クルーズ列車」の運行が始まったのは記憶に新しい。「事業終了はつらいというのが正直な気持ち。後輩たちには最後の日まで頑張ってほしい」とエールを送った。
退職した田中さんから同社の運輸安全部長を引き継いだ鎌田重光さん(41)は、運転士の経験もある。「特に南線は、踏切が多くて細心の注意が必要でした」。夏の暑い日は、クーラーの無い運転席で汗を流しながら、周囲の安全に気を配ったという。
事業終了まで残り9カ月余り。同社の安全統括管理者も務める鎌田さんは「いつも通り、安全を第一に運行していくだけです」と気を引き締めた。
時代の流れや企業動向に翻弄も
秋田臨海鉄道の歴史は、時代の流れや企業の動向に翻弄(ほんろう)された苦難の連続だった。
逆風は1971年の営業開始当初から吹いていた。高度経済成長期に国内で進んだモータリゼーションに伴うトラック輸送の発展である。
秋田湾地区が開発・発展の中核となる「新産業都市」の指定を国から受けたのが65年。臨海工業地帯に亜鉛製錬所、火力発電所、製紙工場、木材関連工場などが進出し、原材料や製品の輸送が必要となった。その役割を担うため国鉄や県が中心となって臨海鉄道を設立した。
同社によると、ピークの72年度に66万6千トンあった貨物輸送量は営業開始3年目となる翌73年度から早くも減り始め、89年度には14万2千トンにまで減った。鉄道輸送からトラック輸送へのシフトという時代の流れの影響を当初から受けていたことがうかがえる。
浮上の機会もあった。90年ごろからは製紙会社が洋紙事業に参入したことで、新規輸送が増加した。その数年後には小坂製錬の硫酸輸送が、臨海鉄道を経由したルートに変更。これらにより、2000年度の輸送量は48万7千トンにまで増え、息を吹き返した。
だが、21世紀を迎えてからは厳しい状況が続いた。大王製紙の秋田港周辺への進出は01年に正式断念。08年には小坂製錬の硫酸輸送がなくなり、輸送量は前年の半分以下になった。
「シーアンドレール構想」も臨海鉄道の活用が期待されていた。08年には県が実証試験を行うなど力を入れていたが、秋田港とロシア極東を結ぶ定期コンテナ航路が廃止となるなどしたため、実現は遠のいている。
硫酸輸送がなくなったことで08年3月から運搬実績ゼロが続いた北線は、15年に休止。昨年度の輸送量はピークの10分の1近い7万5千トンだった。
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