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鉄道貨物輸送研究スレッド

1473荷主研究者:2012/07/25(水) 23:49:45
>>1472 続き

 田村 (昨年から重大な事故が相次いでいる安全問題への取組みとコンテナ収入の確保について) 安全問題は経営を運営する基礎、土台、前提条件として守っていく。事故が多発しているが、いかに無くしていくかについて、小林会長の取組みを引継ぎ、現場まで浸透させ、現場に自らの問題とすることを訴えかけたい。25年前の発足時はコンテナと車扱は800億円ずつぐらいの収入規模で合わせて1600億円ぐらいの売上だった。コンテナ収入は毎年100億円ずつ上がっていったが、今は落ちている。売上を伸ばすためには既存を守り、新規の成長分野にうって出るかだと思う。既存の分野については縮小していかざるを得ない部分もあると思うが、その中でシェアと収入を確保していきたい。新規は待ちの営業ではなく、物流権限を持っている部門へ組織的にアタックしていきたい。

 小林 (社長としての5年間で印象に残ったこと)やはり3・11の直後に官邸、国交省、経産省から「被災地では石油不足で緊急車両も動けず、医療機関も大変な状況になっているので、石油を緊急輸送できないのか」という強い要請が下ったこと。それまで200㌔㍍ぐらいの輸送距離しか走ってない石油列車を、社員の安否すら確認できていない中で仕立てた。ケータイもつながらず正しい情報がキャッチできない状況の中で、機関車、貨車の手配がなんとかつき、1週間ほど毎日、司令室に詰めながら、なんとか運ぶことができた。1週間ほどしたら、当時の大畠国交大臣から「もう一本、磐越西線を使って石油列車を走らせられないのか」と要請され、運転士の〝線見〟もままならぬ中で輸送した。これによってJR貨物の存在が少しは広まったのかな、と思う。

 震災から4週間ぐらいたった後、現場に入って、長靴履いて砂地となってしまった線路を歩き、人家の隣にコンテナが転がっているのを目の当たりにして「1000年に一度とはこのことか」と思った壮絶な風景も忘れられない。

 田村 (新ダイヤで新しいビジネスモデルをつくりたいという内容について) 大阪地区の拠点が梅田から本線上の吹田と百済に移る。本線上にある吹田貨物ターミナルをうまく活用するとともに、隅田川駅の北向けの輸送力増発をトータルで考えると、コンテナ輸送をキチンと変えうるインフラが完成すると思うので、それをどう使ったらいいダイヤがつくれるのかを勉強している。抽象的かもしれないが、列車のダイヤの組み方、現在の流動をどう捉えるかなどを、フォークリフトのデータも使って勉強している。できれば、新しくできたダイヤを新規に売り込むことまでも考えていきたい。

 田村 (今日、社員にはどのような話しをしたのか)お客様に使ってもらわなければならないので、まず自分のスタンスはこうですよ、という話しをした。一言でいえばプロの仕事をしよう、ということ。自分では「一点集中全面突破」という言葉が好きで、よく使っている。また「3人寄れば文殊の知恵」とも言われるので、1人でやってもしょうがない。「権限は奪うものである」という気持ちでやってもらいたいとも言った。そして最後は、天は自ら助けるものを助く、だと思っている。

 2日後に労組の大会にも出るが、確かに我々は震災の時にキチンと役割を果たしたが、その自負心と使命感を共通の土台にプロの仕事をしようと訴えたい。個人的には輪廻など東洋的な循環型思考が好き。明けない夜はないと思っている。

 田村 (鉄道のシェアアップについて)経営自立計画では得意とする輸送距離1000キロ以上の分野で3分の1程度のシェアだが、これを5割以上にするという目標をもっており、それを実現してから、一歩一歩、中長距離についてもシェアアップしていくことが目標。

 田村 (個人的なプロフィールについて)今は妻と2人で住んでいる。ふたりの息子には早く結婚してもらいたいと思っている。趣味は読書。学生時代から江藤淳が大好きで、(東大紛争で)卒論がなかったもので卒論に書きたかったぐらい。今は嫁さん孝行で国内旅行を心懸けている。今年は曜日配列が良く、土曜日から日曜日にかけて秩父の夜祭り、高山祭りなどに行った。

(2012年6月28日号)


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