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企業の提携・合併観察スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:42
企業の提携・合併観察スレ

1907とはずがたり:2016/12/28(水) 09:51:19
もう20年前の話になるけどサークルの後輩の女の子が三菱電機に就職したけど,職場で母乳飲ませろと云われたそうで,俺の三菱電機はセクハラし放題のイメージw
今はそんな事許される時代じゃないとは勿論信じるけど,恰度経営が傾いた頃だったんかねえ?

独自の路線(=一部斬り捨て)を採りつつ(日本人好みの)バランス経営を標榜するのはなかなか策士だw

報酬1億円超が23人 「かたつむり」三菱電機の復活劇
http://digital.asahi.com/articles/ASJD55J35JD5ULFA03B.html?rm=1309
大鹿靖明、南日慶子2016年12月26日00時20分

 たゆまざる歩みおそろしかたつむり――。彫刻家、北村西望の句のごとく、「地味」「堅実」と言われながら絶好調なのが三菱電機です。電機大手では中規模ながら本業の収益性は高く、23人の執行役(役員)の報酬が1億円を超えました。でも、1990年代後半から今世紀初頭にかけて経営は傾きました。なぜ再生し、躍進したのでしょうか。

「黄金ペアが三菱電機の強み」 現社長が語る好調の理由
 23人の執行役(役員)の報酬が1億円を超えた。それも2014、15年度と2年連続で。社長に至っては2億円を超える。

 そんな大盤振る舞いをするのは三菱電機だ。売上高約4兆円と電機大手では中規模ながら、約7%の売上高営業利益率はトップクラス。本業の収益性が高い。高額報酬は、役員報酬の約6割を業績連動報酬が占め、14年度の過去最高益更新など最近の好業績を反映したからだ。

 だが、1990年代後半から今世紀初頭にかけて経営は傾いた。なぜ再生し、躍進したのか――。

 98年1月末、三菱電機の取締役会。普段めったに発言しない伊夫伎(いぶき)一雄監査役(元三菱銀行頭取)が声を荒らげた。「来年度どうするか決められないようじゃ、許されないよ」。三菱グループの重鎮の一声にその場は静まりかえった。「ガチャン」。伊夫伎氏は茶わんにふたをたたきつけ、無言で退席。他の役員はその光景に息をのんだ。

 伊夫伎氏の批判は、当時社長の北岡隆氏に向けられていた。北岡氏は出身の半導体や情報通信分野の強化を進めたが、半導体不況が直撃し、連結純損益が1千億円近い赤字に。総会屋利益供与事件で逮捕者も出た。「あと1年社長をやる」と粘ったが、在任6年の北岡氏に人心はうみ、常務クラスが離反。メインバンクを納得させる再建策を打ち出せず、ついには三菱グループの長老たちが引導を渡した。「会長にと思ったが、そうしないほうがいいと言われて」。北岡氏は退任会見で涙ぐみながら会長就任を阻まれたことも明らかにした。

 次いで社長に就いたのは傍流の防衛・宇宙部門出身の谷口一郎氏だった。自ら「青天のへきれき」と言う谷口氏は就任早々「もうからないものはやめる」と宣言。事業を「拡大」「縮小」「現状維持」にわけた。まずパソコンから撤退し、さらに大容量電動機部門を東芝との合弁会社に移管して切り離した。

 いったん持ち直した業績はITバブル崩壊後の2001年、再び暗転した。半導体部門トップだった長澤紘一氏はこのころ、三菱電機のような重電から家電まで手がける総合電機メーカーが半導体ビジネスを手がけることに限界を感じていた。「設備投資が年間1千億円規模になり、それを捻出するのに社内で1年もの議論をしなければならなくなった」。意思決定のスピード感、資金力の両面で米マイクロンや韓国のサムスン電子などライバルにかなわない。「半導体を切り離せば会社は良くなる」。役員会でそう一席ぶった。

 当初は消極的だった谷口氏も、もはや半導体を抱えられないと判断。同じ悩みをもつ日立製作所に持ちかけ、両社の半導体システムLSI部門を分離統合(現ルネサスエレクトロニクス)させた。当時の財務担当役員は、「投資が巨額で価格変動も激しく、三菱の体力では持ちきれなかった」。

 ログイン前の続き08年3月に携帯電話の撤退を決めたのもその延長線上だった。役員会などで撤退が議論の的になっていた。「ああいう(差別化できない)コモディティー商品は当社がやってもしょうがなかった」。元専務はこう振り返る。

 同年に米アップルのスマートフォン「iPhone」が日本でも発売された。そして携帯撤退の半年後、リーマン・ショックが襲い、世界経済は不況に陥った。日本メーカーのガラケー端末市場は一気にしぼんだ。

 柵山正樹現社長はいま、こう語る。「リーマン・ショック前に決断でき、撤退のタイミングがよかった。業績が厳しくなると人の活用が難しい」。携帯部門の約600人はカーナビなど他部門で吸収。ライバルの東芝や日立がリーマン・ショック後に巨額赤字を計上するなか、三菱電機は黒字を維持した。

1908とはずがたり:2016/12/28(水) 09:51:58
>>1907-1908
■自社の強み、地道に追究

 半導体システムLSIや携帯電話などから撤退し、売上高は00年度の4兆1千億円が一時、8千億円も減った。しかし、撤退した事業は外部から製造装置や基幹部品をそろえれば、新興国の後発メーカーでも参入できる分野だった。三菱電機が14年度以降、過去最高の売上高を更新し続けたのは、こうした製品ではなく、自社独自の強みを生かせる分野があったからだ。

 そんな路線をはっきり打ち立てたのは、谷口氏の後を襲った研究所出身の野間口有(たもつ)氏だった。社長就任早々「バランス経営」を標榜(ひょうぼう)し、成長性だけでなく健全性と収益力を重視。この手堅い路線が今日まで引き継がれてゆく。さらに野間口氏は、「電機大手各社が相似形で同じビジネスをするのは限界」と考え、独自の生き方を模索したのだ。研究所出身なだけに自社の技術の値打ちが頭に入っていた。

 その一つが、ルネサス分離のときに残された「パワー半導体」だ。モーターを駆動したり電力を制御したりするパワー半導体は、システムLSIやメモリーなど他の半導体製品と比べて地味な存在。「単体だと赤字ですが、それを使うエレベーター、工場プラントの制御機器は黒字。単体ではなく全体で評価し、相乗効果を生かそう」と野間口氏。東芝からパワー半導体部門の一部を04年に買収し、むしろ強化に乗り出した。

 エアコンやエレベーター、自動車部品という今の三菱電機の屋台骨を支える製品群に共通して組み込まれるのが、実は同社独自仕様のモーターだ。モーターは消費電力が少なければ省エネに貢献し、最終製品の性能を左右する。そのために欠かせないのがモーターとともに機器に組み込まれるパワー半導体だった。

 もう一つ力を入れたのが、工場を自動化するファクトリーオートメーション(FA)分野。産業用制御機器を生産する同社は、機器を販売するだけでなく、顧客企業向けに、設計や在庫管理、部品発注から製造現場の機械類の作動に至るまで工場内のデータを情報システムにつなげて自動化を進め、生産効率や品質向上につなげる。これを「eファクトリー」と名付けた。

 野間口氏が研究所を統括していた1999年ごろ、将来を見すえたプロジェクトを募ると、若手から寄せられたアイデアにそれがあった。「今で言うIoT(モノのインターネット化)システムみたいな考えでした。『これコンセプトはいいね。商標登録だけはしておけ』と指示しましたよ」。生産工程のIT化を進めるドイツ提唱の「インダストリー4・0」がもてはやされるが、三菱電機からすると、それは自分たちが提唱した「eファクトリー」と似たものだった。「ウチはちょっと早すぎましてね」と野間口氏は笑う。

 巨額投資が必要な分野や景気変動にさらされやすい分野からいち早く撤退した三菱電機は、基幹部品を守りつつ、収益が安定しやすい企業向けビジネスを強化してきた。デジタル家電や情報端末など消費者むけの目立つ製品群があるわけでも、耳目をひく派手なM&Aを重ねるわけでもない。「たゆまざる歩みおそろしかたつむり」――。携帯電話撤退を決めた当時社長の下村節宏(せつひろ)氏は、地味だが堅実な自社の歩みを、彫刻家北村西望の俳句を借りてそう表現した。

■社長交代は健全に

 97年度に1兆7千億円超もあった有利子負債は、直近では約4千億円に減少した。長年の利益の蓄積である連結剰余金は99年9月に3千億円だったが、1兆5千億円に激増している。手元現預金と投資有価証券をあわせると約9千億円にもなり、資金は潤沢だ。こんな資金力を生かして昨年、イタリアの空調メーカーを900億円で傘下に収めた。大型買収は同社にとってきわめて異例のことだった。

 「入社したとき(77年)はこんなアグレッシブな会社じゃなかった」と振り返る柵山社長は「これからはIoTをいかに先取りしていくか。中国は『知能製造』といってインテリジェントな工場をつくろうとしている。ビジネスチャンスは増えていく」と語る。FAや空調分野で高い利益率を見込めそうだ。

 だが、投資家からの評価は決して高くない。「資金をためこむばかりで成長戦略が見えてこない。投資家からすると魅力に乏しい銘柄」(米系投資ファンド)というわけだ。

 三菱電機の歴代社長は進藤貞和氏(9年7カ月)、志岐守哉氏(7年)、北岡氏(6年)ら長く在任する例があったが、谷口氏以降4人の社長は示し合わせたかのように在任期間4年で交代している。内規や、歴代社長の口伝があるわけでもない。

 野間口氏はこう語る。「100年、200年続いて欲しい組織体は、健全なるバトンタッチが非常に重要です。長くやり過ぎてへとへとになるよりも、まだエネルギーがあるときにバトンを渡した方が健全かつ正常に引き継がれていくのです」。それは組織の知恵といえるかもしれない。(大鹿靖明、南日慶子)


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