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企業の提携・合併観察スレ

1472とはずがたり:2015/07/12(日) 18:26:56
>>1471-1472
形勢逆転

 佐々木氏が反撃に出る可能性の芽は摘まれていた。社長時代に佐々木氏は、後継者を指名する権利も奪われていたからだ。東芝は03年に委員会設置会社へ移行し、社外取締役2人と会長の西田氏の3人で構成される指名委員会で、社長や役員の人事を決める体制になった。13年に複数候補者の中から田中氏を次期社長に選んだのは、この指名委員会だった。
 この時、現在の経営体制につながる布石となる重要な人事を決めていた。指名委員会は13年5月8日、常任顧問だった室町氏を6月下旬の株主総会後に取締役へ復帰させる人事を決めた。室町氏は12年まで東芝の副社長を務めていた。一度退任したOBが取締役に復帰するのは珍しく、室町氏は西田氏が社長当時、右腕といわれた人物だ。
 室町氏は半導体事業のエキスパートであり、西田氏が半導体と原子力発電を東芝の二枚看板に据える経営方針を示した際に半導体部門のトップを務めた。だが、08年のリーマン・ショック後に東芝は半導体で巨額赤字を出したため、09年3月期決算で3435億円の巨額赤字に転落。西田氏は社長から会長に退いた。
 後任社長に就いたのが、もう一枚の看板である原子力事業を率いてきた佐々木氏だった。両者の確執はこのときの社長交代にさかのぼる。西田氏は「引責辞任」とは口が裂けても言わなかったが、社長を退いたのは事実上の引責辞任だった。ポスト西田の有力候補であった室町氏は社長レースに敗れ、東芝本社を去らざるを得なくなった。

完成した西田院制

 しかし、11年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故が、佐々木氏の権力基盤を突き崩した。原子力畑一筋の佐々木氏に対して批判発言を繰り返してきた西田氏はこの事故後、完全に東芝の経営の主導権を奪還した。

 佐々木氏のライバルだった室町氏が取締役に復帰する人事が実現したことから、当時社内では「14年の株主総会後に会長になる布石」「佐々木氏は会長になれないだけではなく、副会長の椅子からも追われることになる」と取り沙汰された。しかし、当時政府の経済財政諮問会議民間議員を務め、経団連副会長の任期を残す佐々木氏を切るわけにはいかなかったため、佐々木氏は副会長に留任した。
 西田氏が描いていた構想は、自身の人脈に連なる「室町会長=田中社長体制」を敷くことだったが、その体制が現実のものとなり、西田院政のシナリオは完成した。
 不適切会計がなされていたとされているのは、コミュニティ・ソリューションズ、電力システム、社会インフラシステムの3つの社内カンパニーとその関連会社だ。これらは、佐々木氏が社長になる前からのまさに“天領”だった。経営陣が6月末株主総会で「佐々木退任」というカードを切りやすくするために不適切会計を持ち出したのだとすれば、完全に公私混同である。
 今回の騒動で東芝株価は急落した。同社、そして多くのグループ企業の信用失墜の責任を、誰がどのように取るのか。東芝という会社のコーポレートガバナンスが問われている。
(文=編集部)


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