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阿耨達池
1
:
顕正居士
:2002/10/18(金) 19:57
「阿耨達、四海に注ぐ四つの河の源の水」(宮沢賢治・阿耨達池幻想曲)
インド諸河の源泉と想像された地下水であります。黄河の源泉にも同様の
思想がありました。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
3
:
近藤 貴夫
:2002/10/18(金) 23:43
賢治にそういう作品がありましたか。未読です。
古代人の考えですが、一つの源泉が複数の河川に安定して
水を供給するというのは、もし天然にあれば奇跡的なことの
ように思えます。そういう実例があるでしょうか?
インド人としては、インダス川とブラマプトラ川の源流のある、
チベット西南部を想定していたのでしょうか。或は、カシミール
に大きな湖があったという伝説に関係しているでしょうか。
>雪山の北・香酔山の南
古代ギリシャにも類似の考えがあったような気がして
ちょっと見返したら、タルタロスはまた全然違いますね
4
:
顕正居士
:2002/10/19(土) 22:24
ひとつの湖からいくつもの河が流れる例があるか、河川学などは何も知らない
のでわかりません。タルタロスは「奈落」ですが、オケアノスは諸河の源泉と
やはり考えられた。アノクダッチはジャンブー州には一つしかなく、此処から
四河が流れるが、ウッタラクルには四つあるのだそうである。チベットの
マナサロワール湖がアノクダッチのイメージであるとしたら、雪山=須弥山を
越えたところだから変である。しかしインドの諸観念ではそういう矛盾が平気
である。古人、古典の説はあれもこれももっともであるとし、矛盾を認めない
非論理が発達したのがインドである。だが商人は地主(バラモン)と異なり、
実際的の地図を使ったであろう。インド人の半分がイスラームになったのは
インドは滅茶苦茶な地主支配で、合理思想を抑圧することが国是であったから
とおもう。では商人が主体であった根本仏教は合理思想であったかというと、
ソクラテス教と同じく、論理が詭弁から発達したにせよ古代都市国家の詭弁家
の思想の範囲である。ソクラテスや釈尊は発達した詭弁家であり、論理家へ
橋渡した役割の人ともいうが、アリストテレスはアテネにしか現れなかった。
またインド最後の詭弁家は500年後のナーガールジュナである。北伝によると
釈尊はソクラテスと同時代の人であるから、ギリシャ文化はアリストテレスの
出現によって決定的優位の文化になったと云える。詭弁家はみな自然の研究を
無価値としたが、アリストテレスはこの思想を笑い、批判し、イオニア哲学へ
戻した。黄河源流地下水説はアノクダッチやオケアノスに比して合理的な思想
であるが、これも地下水脈の場所をチベットに想定した。
5
:
sukhavati
:2002/10/21(月) 04:53
近藤さん、顕正居士 さん、レスをありがとうございました。
>四河が流れるが、ウッタラクルには四つあるのだそうである。チベットの
>マナサロワール湖がアノクダッチのイメージであるとしたら、雪山=須弥山を
>越えたところだから変である。しかしインドの諸観念ではそういう矛盾が平気
>である。古人、古典の説はあれもこれももっともであるとし、矛盾を認めない
>非論理が発達したのがインドである。
私の理解力不足で、「矛盾を認めない非論理が発達したのがインドである。」の部分の意味がわかりません。
「矛盾を認める」ことが「論理的」であり、「矛盾を認めない」ことが「非論理的」なのでしょうか?
ううむ、お手数とは思いますが浅学非才の私に教えて頂ければ幸甚です。
6
:
sukhavati
:2002/10/21(月) 05:06
いやぁお恥ずかしい限りです。
すぐ上の私の書き込みは取り消します。
「古人、古典の説はあれもこれももっともであるとし、」(そのことに)「矛盾を認めない
非論理が発達したのがインドである。」ということなんですね、やっとわかりました!
#お騒がせしてすみません。
7
:
sukhavati
:2002/10/22(火) 05:23
昨日(10/21)の産経新聞14面に、東北大学の田中英道という人が「ホトケ」の語源を説明していました。
それによると、サンスクリットのbuddhaが漢訳で「浮図」となり、それに日本人が「形」を加えて「ホトケ」となった・・・とありました。しかしgoogleで「浮図」を検索しても中国繁体字では1件もヒットしません。
顕正居士さんの素晴らしいサイトを見るとbuddhaは「如来」「浮屠」「浮圖」とあり、これらはヒットします。
ところで私の疑問は、buddhaが「浮屠」であるとして、「ホトケ」の語源が「浮屠+形」というのは定説か?ということなのです。
ホトケが死者を表すようになった経緯も興味深いですが、その辺も教えて頂ければと思います。
8
:
sukhavati
:2002/10/22(火) 05:49
またも恥ずかしい間違いですみません。
「図」の繁体字が「圖」なんですね・・・トホホ
9
:
顕正居士
:2002/10/22(火) 12:20
「ほとけ」の語源
「浮図」は「仏陀」と同じくbuddhaの音訳です。「け」がついた理由には昔
からいろいろな説があるそうです。わたしが納得がゆくのは。中国では
「儒家」、「道家」と思想集団を呼ぶので「仏家」を「浮図家」とも書いた
であろう。「ほとけ」=「浮図家」、仏教徒の意味であったという説です。
亡くなった人を「ほとけ」と云うのは。中国人や日本人は輪廻転生をインド人
やチベット人のようには信じないから、この世だけの修行で成仏できる(
「頓悟」)という教えしか流行らなかった。それで、亡くなった方はもう
ほとけである、カトリックで「昇天」というのと同じであろうと思います。
日本人の原宗教でいえば、子孫を守護する祖霊の一員になられたという意味
でもあるでしょう。
10
:
近藤 貴夫
:2002/10/24(木) 00:01
「ホトケ」の語源が「浮屠+形」という説は、初めて聞きました。
「形」という字を「け」という読みで語尾につけた日本語が他に
思い当たらないし、当時の「形」という語が日本人に「け」と
聞こえたかどうかも難しいように思うので、にわかに信じにくい
のですが。
記事中にそのあたりの説明はございましたでしょうか。
11
:
sukhavati
:2002/10/24(木) 03:27
> 「形」という字を「け」という読みで語尾につけた日本語が他に
> 思い当たらないし、当時の「形」という語が日本人に「け」と
> 聞こえたかどうかも難しいように思うので、にわかに信じにくい
> のですが。
> 記事中にそのあたりの説明はございましたでしょうか。
いえいえ、全くありません。私の疑問もそのあたりに端を発しているわけです。
『本来ブッダは、漢語で浮図と呼ばれていたが、そこに日本人は形(け)を加えて
「ほとけ」と呼んだ。すなわち日本では、「仏像」そのものが釈迦なのである。』
これだけです。
12
:
sukhavati
:2002/10/24(木) 04:31
> 亡くなった人を「ほとけ」と云うのは。中国人や日本人は輪廻転生をインド人や
> チベット人のようには信じないから、この世だけの修行で成仏できる(「頓悟」)
> という教えしか流行らなかった。
あくまで余談として受け取って頂きたいのですが、浄土真宗のように「修行など必要と
せず、他力本願で悪人でも阿弥陀如来が救ってくださる」という思想がある一方、例えば
「石の上にも三年」のような苦行をしなければ「悟り」が開けないとする宗派もありますね。
その昔、一休が自分は悟った!と確信して師の華叟をたずねたところ、華叟は「それは
まだ羅漢の悟(利己的な解脱)に過ぎない」といった話は後者の例になりますか。
すると、死ぬことによってオートマチックに「成仏」できる(修行は特に関係しない)絶対他力
と、禅のような絶対自力、それに輪廻転生の世界が入り乱れてさまざまな文化を生み出した
と考えられるような気がします。
#生意気なことを書きましたが、これが私の今の偽らざる(羅漢的)理解です。いろいろと
教えて頂ければという・・・虫の良い考えです!(笑)
13
:
sukhavati
:2002/10/25(金) 03:46
偶像崇拝の最も悲惨な例の一つは日本の切支丹の、いわゆる「踏み絵」でしょうか。
ここまでくると「受け取る方の責任」みたいな印象もあるのですが。
14
:
sukhavati
:2002/10/27(日) 04:19
> 「ジェロニモ」はポルトガル語です。英語の「ジェローム」に当たる。
ああ、そうでしたか、私の無知はお恥ずかしい限りです!
聖人ジェロームといえば、5世紀のヴルガタ訳聖書の編者だそうですね。あせって調べたら、語源はギリシャ語のHieronymosで「Hiero」が「高い、高貴な」、nymosは「名前」という立派な意味があります。
どうもありがとうございました、これからもよろしくご教示をお願いいたします。
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