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創作メモ
92
:
管理人
:2012/03/27(火) 01:10:15
>>91
に付け加えてだが、安閑・宣化が即位していなかったと仮定した場合、系譜に組み込む意味は何だろう?
ここで一つ妄想を提示したいのだが、例外という名の前例づくりをしたかったのではないだろうか、と思うのである。
欽明によって復活した
>>88
の仁徳システムは、いずれ途絶えるのである。その際、安閑・宣化をいたことにしておけば、前例として使えるのだ。
……。ここにきて管理人の主張がやたらシステマチックになってきたのが、なんか萎えるなあ。
んなこたーない、って言われそうだし、自分でもそう思う。5C(おそらく4Cも)の葛城、及び6Cの蘇我が、当然のように
外戚として居座っているので、そう見えてしまうのである。古参であり、なおかつ6C半ばまで最有力氏族である大伴や物部が
全然王統に絡んでこないのもヘンだ。軍事氏族だからか? なんとなく暗黙の了解があるような気がしてしまうのである。許してくれ。
まあいいや。それにしても磐井である。
他者との繋がりを見る限り、北九州・新羅の磐井系も②であるし、息長・近江の継体系も②なのだ。それに加えて磐井の謎めいた台詞。
これは単なる仲間割れじゃないのか? 継体の甘受っぷりにブチきれた磐井が……、とか、
同系の不満分子に唆された安閑・宣化が欽明に……、とか、何とでも考えられそうだが、どう転んでも結果は一つしか見えそうにない。
さて、欽明の嫁は悉く蘇我である。つまり葛城の代わりに蘇我が立てられたわけだ。別に違和感はない。
宮は磯城。全く違和感なし。当然すぎて困るくらいだ。重臣は大連が大伴カナムラ・物部オコシ、大臣が蘇我イナメ。もはやテンプレである。
だいたいにおいて管理人が、播磨王朝的な顕宗・仁賢の乗っ取りやら、近江・越前王朝的な継体の乗っ取りやら、
継体系の安閑・宣化における欽明乗っ取り(或いはその逆)やら、それらにあまり食指が動かないのは、
どの新政権にも普通に大伴と物部がいて、加えて②の有力者(今回は蘇我)が当たり前のようにいるからである。
ふつう、内乱やクーデターっていったら、有力皇子を担いだ氏族間抗争になるんじゃなかろうか? 何も変わってないぞ。
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