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継続:科学と疑似科学を判別する

533Ken:2025/10/04(土) 23:00:10 HOST:softbank126026080234.bbtec.net
考察を始める前に、地動説と光波動説について語っておきましょう。

地動説と光波動説を持ち出した理由は、この2つには、その当時の物理法則と矛盾し、観測事象と整合しないという問題があったことがありますが、一方で、この2つが科学史の中で果たした、あまりにも重要な役割があります。

近代科学は地動説から始まる、という歴史的評価があります。16世紀にコペルニクスが唱えた地動説を、いろいろな人が追及しました。決定的な役割を果たしたのがケプラーで、地動説にもとづくケプラーの法則を1609年に発表し、天体位置の予測精度を革新的に向上させたのです。

コペルニクスのモデルとは異なり、ケプラーの法則は、周回天体が楕円軌道を動くことと、中心天体からの距離で速度が変わることを示したのです。例えば、地球を周回する月の軌道も楕円で、その半径は10%も変動します。これは、地球から見た月の大きさと、天空を横切る速さが10%変動することを意味し、これを含めた計算をするのとしないのでは、たとえば日蝕の予測精度に明らかな差を生じるのです。旧スレッドで紹介したように、地動説を弾圧したローマ教会の宣教師が、自分たちが危機に陥ったときは、地動説に頼るしかありませんでした。
(jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1707555287/25)
火星や木星のような惑星の位置の予測精度では、さらに決定的な差がつきます。

ケプラーの法則が登場した時点では、慣性の法則は知られておらず、恒常的な風が吹かない矛盾は解消されてませんが、予測を的中させるという決定的な証拠が出たら、地動説を認めるしかありませんでした。その矛盾はガリレオが解決し、結局、コペルニクス→ケプラー→ガリレオと続いた展開を集大成したのがニュートン力学です。地動説なくしてニュートン力学はありませんした。

地動説を人々に確信させたのがケプラーの発見なら、光波動説で同じ役割を果たしたのが、1801年の2重スリット実験です。縞模様の観測というだけなら、18世紀以前にもニュートン環の観測例がありましたが、2重スリット実験が革命的だったのは、両方の穴からの光が合わさると、片方だけの光より弱くなることでした。なにより、観測事象から波の波長が算出され、スリット間隔や投影面までの距離を変えると、縞模様がどう変化するかの予測ができるようになり、もう光は波と認めるしかありませんでした。

そして、このことは、波動というものに対する根元的な再考を要求しました。波を伝える媒質は質量と弾性をもつ「ばね」という前提にたつ限り、光の速度と整合する弾性と密度が空間を充たさねばならないからです。もはや、物質的な媒質をもたない波を探すしかありません。そんなものはありえないと言っても、2重スリット実験の縞模様を粒子が作ることは、もっとありえません。この時、光粒子説という代案が消滅したのです。

歴史を読む限り、電磁誘導の発見は、偶然の要素が強く、媒質のない波とは関係なく行われたと思われます。しかし、電磁波を理論化したマクスウェルの業績は違います。電場と磁場の相互作用こそ、波動方程式に必要と考えられた質量と弾性に該当し、媒質のある波の速度が質量と弾性で決まるように、電場と磁場が空間を伝わる効率(誘電率と透磁率)で電磁波の速度が決まることを明らかにしました。算出された電磁波の速度の理論値が、17世紀以来観測されてきた光の速度と一致することも示しました。そこには、2重スリット実験が突き付けた媒質のない波を解き明かす意思があります。光波動説が2重スリット実験につながり、2重スリット実験が電磁波理論につながりました。

工学系の大学生(私もそうでした)が相対性理論を履修しないことはありえても、ニュートン力学とマクスウェル電磁気学と量子力学を教えられないなど、今の大学教育でありえません。量子力学も、ニュートン力学とマクスウェル電磁気学の基礎の上に、新たな発見が重なって生まれました。結局、あらゆる自然科学の根幹をなす物理学は、地動説と光波動説が歴史の中で果たした役割に、多くを負っております。

それほど巨大な貢献をした理論が、理論が唱えられた時代には、どれほどの「疑似科学」であったかを、光波動説を例に見てゆきましょう。


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