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継続:科学と疑似科学を判別する
507
:
Ken
:2025/07/26(土) 23:25:18 HOST:softbank126026080234.bbtec.net
>真っ当な方法は無い、と言うことで了解いたしました。
真っ当でないとは、
>18世紀の波動説がどうとかで歴史をねじ曲げる
のことですね。
そう言われても、18世紀の光波動説論者は、自説に筋が通らぬことを自覚しながら、なお主張し、そこには論理よりも心理的理由があった、という結論をAIとの議論で得ているのです。
drive.google.com/file/d/17Qcskrv4yZhqxEM8PC7A2KjEAYpPbVYb/view
35頁に記述があります。
撤退をされるなら、私1人でスレッドを続けることになります。まずは現在進行中の検証の完成から。エーテル理論の問題点を1つ1つ明らかにします。あなたが絶対に認めないと抵抗されてきたことばかりです。
1.光の速度の実現に必要な弾性と密度が観測されない
2.光と音はどちらも波動なのに、同じ空間を異なる速度で伝わる
3.質量のない不可量物質では波の媒質になりえない
4.ヘリウムよりも軽いエーテルは大気中に留まれない
IDの話はいずれやりますが、比較対象である光波動説の実態を、明らかにしてからでなければ、意味がありません。
508
:
とりあえず
:2025/07/27(日) 08:33:35 HOST:sp1-73-13-82.nnk01.spmode.ne.jp
はい。
AIとお一人で頑張って下さい。
応援しときます。
509
:
Ken
:2025/08/06(水) 22:37:46 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
ここからは1人でスレッドを続けます。どなたがコメントをされるのも自由ですが、本スレッドへの書き込みだけは無用に願います。これまでに設定したブロックも一旦解除しますが、本スレッドに書き込んだアカウントは、今後もブロックします。
510
:
Ken
:2025/08/06(水) 22:39:12 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
まず、基本的なポイントを明らかにします。
1.科学とは、現実事象の観測から始まる
ある事象が「起こるはず」と決めてかかるのではなく、実際に起こることを観測せねばなりません。ところが、この常識がなかなか通用しません。
通用しなかった例が、本スレッドでもありました。科学教育から一切の拘束を外して自由にするのと、拘束をかけるのと、どちらが科学の進歩に有利かが問題になりました。つまり、
仮説A:完全自由な教育が進歩に有利
仮説B:拘束された教育が進歩に有利
という対立仮説を検証することで、それには科学史の事象を観測せねばなりません。仮説Aを支持する私は、実例として、16世紀の地動説と18世紀の光波動説という、その時代の知識体系の中では合理性のなかった仮説が教えられたことが、科学の進歩に一大貢献をした例を挙げました。
地動説と光波動説に、どれだけの合理性があったのかは、検証すればよい。実際に、スレッドの大半は光波動説の検証に費やされたのですから。問題は、仮説Bの実例が1つも示されなかったことです。ルイセンコ理論の歴史などは実例になりません。旧ソ連の遺伝学が停滞したのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ以外の理論が弾圧されたからです。
2.事象の観測と、理論的説明は、独立した検証課題である
観測事象と理論的説明が整合するのが理想ですが、一方だけが成立することが、しばしば起こります。1801年の2重スリット実験は光波動説の強力な証拠でしたが、媒質問題の矛盾はそのままです。理論的矛盾の解消は、1864年の電磁波理論の登場まで、数十年を要しました。
反対に、理論は完璧だが、観測事象の裏付けがない仮説もあります。1915年に発表された一般相対性理論がその例で、理論が予測する事象が日蝕の観測で裏付けられたのは4年後の1919年です。
科学理論の合理性は、観測事象と理論的説明の両方で、総合評価をせねばなりません。18世紀の光粒子説と光波動説も、現在の自然選択説とID論も、これで優劣を比較します。そこから、18世紀に光波動説を支持することと、今、ID論を支持することと、相対的に合理性があるのはどちらであるかを検証します。
511
:
Ken
:2025/08/10(日) 14:27:14 HOST:KD059132255056.au-net.ne.jp
18世紀の光波動説と現在のID論を検証し、相対的な合理性を比較してゆきましょう。もしも「まともな理論」のみが、教育の場に持ち込むことを許されるのなら、その資格を有するのはどちらであるかも判定できるでしょう。具体的な検証項目は、それぞれの理論の
1.根拠となる観測事実はなにか
2.問題点はなにか
3.既存の知識体系と整合または矛盾するか
です。既存の知識体系は、それまでに蓄積された観測事実から構築されたもので、これと矛盾をする理論は、蓄積された観測事実の再解釈を要求します。そういう新理論があり得ないわけではないが、本当にそういう理論が必要なのか、既存の体系と矛盾を生じない代案はないのか、という検討は必ずやらねばなりません。では1から始めましょう。
1.根拠となる観測事実はなにか
18世紀の光波動説の根拠とされたのは、水面波や音が示す事象と似ている事象を光が示すことでした。
1-(1) 光同士が交差する
1-(2) グリマルディが観測した同心円
1-(3) ニュートン環
1-(4) 光速度が一定
1-(5) 複屈折
これらが本当に波動説の根拠たりえるかは、個別に検証します。とにかく光波動説は、光の観測事象と水面波や音の観測事象に類似点があることを、根拠としました。
それでは、現在のID論が根拠とする観測事象はなんでしょうか。これは言うまでもありません。
2-(1) 過去の地球で生物が進化した
時間経過とともに生物種が変化したことは明らかですから、今の私たちが観測できる事象の中から、同様の結果を生じるものを探せばよい。種が変化してゆく様子を実観測させてくれるものは何でしょうか? 最も容易に観測できるのは、人類が実行する品種改良です。現在の品種改良が、生物種の進化という結果を生じることから、過去の進化もまた品種改良であった、と考えるのがID論にほかなりません。
光が示す同じ事象を、音や水面波が示すことに基づくのが光波動説
品種改良が示す同じ事象を、過去の生物が示すことに基づくのがID
ただし、18世紀の光波動説にも、現在のID論にも、代案となりうる仮説が存在しました。それが18世紀の光粒子説と現在のダーウィニズムです。上に挙げた波動説の根拠となる事象は、実は粒子説でも説明がつくかもしれません。同様に、品種改良を思わせる過去の進化は、自然選択でも説明可能かもしれません。それぞれの場合に、対立説の優劣を検証することで、18世紀に光波動説を唱えることと、現在ID論をを唱えることでは、より合理性があるのはどちらの行為かを、最終的に判定します。
512
:
Ken
:2025/08/13(水) 21:02:02 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
光波動説は、光同士の交差や、光が作る同心円のような事象を観測し、同様の事象を水の波が作ることを、自説の根拠にしました。連想が働いたのです。
ID論は、過去の地球で生物種が変化したことを示す事象を観測し、同様の事象を起こす原因として、人類が実行してきた品種改良を思いつきました。ここでも連想が働いたのです。
一方で、両説とも同じ種類の問題に直面しました。
過去の地球で生物種の変化を導いた存在があったのなら、その正体は何者でしょうか? 具体的にどういう方法で、進化に干渉したのでしょうか? この疑問への回答は、現時点では何もありません。回答が見つかるかどうかも分かりません。この不明さがID論の弱点といえます。
そして、IDとの比較考察対象として、18世紀の光波動説を選んだ理由の1つがこれです。
もし光が波であるなら、その波を伝える媒質は何でしょうか? この疑問への回答が皆無でした。波動説論者がやったのは、光が波という前提から出発して、波なら媒質があるはずと考え、その媒質を「エーテル」と名づけただけです。エーテルの正体は不明で、エーテルを観測することもできませんでした。
正体不明で観測もできない媒質を想定するのと、正体不明で観測もできない品種改良者を想定するのと、問題の本質は同じです。
光波動説は、正体不明で、観測もできない媒質が、存在すると主張しました。
ID論は、正体不明で、観測もできない品種改良者が、存在したと主張します。
ここまでは、2つの仮説には差がありません。かたや媒質、かたや品種改良者という、それぞれの理論の根幹をなす存在を観測できないのです。これは、両説とも、積極的に肯定する証拠がないことを意味します。
ただし、2つの説はここからが違います。波動説には積極的に肯定する証拠がないだけではなく、むしろ積極的に否定する証拠があったのです。
IDにはありません。たとえば鳥が恐竜から進化した1億年前に、計画的に進化を導く干渉者がいたと考えても、矛盾する物理学、化学、生物学の法則は、今の知識体系に存在しません。
18世紀の光波動説は違います。当時確立していた物理法則はニュートン力学でした。波動理論を構築したホイヘンスも、ダランベールも、オイラーも、ニュートン力学の基礎の上に理論を建てました。ところが、光を伝えるエーテルの特性を突き詰めると、その存在はニュートン力学と矛盾するのです。矛盾の具体内容は何度も挙げました。
(1)空間の弾性と密度の観測値が、光速から求める理論値と異なる
(2)同じ空間を伝わる光と音の伝播速度が異なる
(3)質量がない不可量物質では波の媒質になりえない
(4)そもそもエーテルは大気中には留まれない
光の媒質とされるエーテルは、積極的に肯定する証拠がないばかりか、積極的に否定する証拠があるのです。
513
:
Ken
:2025/08/17(日) 21:39:33 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
光波動説は物理法則と矛盾しましたが、それだけで評価が決まるわけではありません。光の波動性を示す強い証拠があれば、矛盾を残したままでも支持されます。何度も述べてきたように、2重スリット実験が示したのは、そういう証拠でした。この時点では媒質問題の矛盾は解消されてないのに、波動説の優位を樹立したのです。18世紀までの観測事象とは異なり、粒子説では説明不能な、回折と干渉が作る縞模様が観測されたからです。
縞模様だけなら18世紀までも観測されていました。しかし2重スリット実験を波動説で解釈すると、実験条件を変えた結果の予測ができるのです。干渉縞のメカニズムはファインマンが解説しています。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_29.html#Ch29-F7
たとえば2つのスリットの間隔や造影スクリーンまでの距離を変えると、観測される縞模様が変り、変わり方は波動理論で予測できるものでした。
一方、18世紀までに波動説の根拠とされた事象は、前述しました。これだけなら、光粒子説でも説明可能であり、物理矛盾を含むエーテルを必要としませんでした。
(1) 光同士が交差する
(2) グリマルディが観測した同心円
(3) ニュートン環
(4) 光速度が一定
(5) 複屈折
光粒子説が、これらの事象をどう説明したのか。光波動説の説明と比べてどういう優位性があったのか。それを語りましょう。
514
:
Ken
:2025/08/17(日) 23:34:10 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
18世紀の観測事象を光粒子説で説明するためにニュートンが提唱したのは「Fits」でした。「発作」と訳されることが多いようですが、はたして正しい訳か。
簡単にいえば、電気に+と-があり、磁気にNとSがあるように、光粒子も2種類あるというものです。たとえば複屈折が起こるのは、特定の物質内で2種類の光粒子が異なる反応をするためという主張です。
光がガラスに入る時、反射と透過の両方が起こるのも、2種類の粒子があるからで、ガラスの表面で反射する粒子と、最初のガラスは透過して2つ目で反射する粒子が、交互に入れ替わることからニュートン環が生じる、というのがニュートンの説明でした。
Fitsの概念は光粒子説のためだけに考え出されたもので、Fitsの存在を示す何の観測事象もありませんでした。この点で、光波動説のためだけに考え出され、何の観測にも裏付けられないエーテルと同種の、きわめて恣意的な想像の産物でした。
光粒子説は、観測に裏付けられないFitsを持ち込みました。
光波動説は、観測に裏付けられないエーテルを持ち込みました。
ここまでは粒子説も波動説も同列というべきでしょう、しかしここからが違います。光粒子の特徴を観測できないのは観測技術が不十分だから、という説明は論旨が通りますが、エーテルの特徴を観測できないのを、観測技術の不足で説明するのは筋が通りません。波動説側からみれば不公平に思えるでしょうが、粒子と波動の本質的な違いから、これは仕方のないことなのです。
粒子とは離散的な存在です。1つ1つの光粒子が持つ特性に依存して、光の特性が決まるというのが、光粒子説です。個別の光粒子を観測できないのだから、Fitsという属性があるかどうかも、観測で決めることはできません。要するにFitsを肯定する根拠も否定する根拠もありません。
ところが波動は連続的な存在です。媒質は連続的に力を伝える必要があり、どこかで力の伝達に切れ目があれば、波はその先には伝わりません。それなら、エーテル粒子(そういうものがあるとして)を観測はできなくても、波が伝わる空間の弾性と密度は観測されるはずなのです。気体の粒子は観測できませんが、大気の弾性と密度は容易に観測できますよね。それと同じです。
そして光波動説の弱点は、エーテルを観測できないことではなく、光が伝わる空間に、光の速度と矛盾する弾性と密度が観測されることでした。積極的に否定する理由とはこのことです。
515
:
Ken
:2025/08/20(水) 22:10:51 HOST:52.66.62.130.static.user.transix.jp
光粒子説のFitsと光波動説のエーテルは、どちらも観測事例がない、架空の存在でした。両者の違いは、エーテルにのみ積極的な否定の理由があることでした。
このような条件下において、最も合理的な仮説はどうあるべきでしょうか? よく似た例を考えてみましょう。ダークマター(暗黒物質)の話をします。
宇宙に存在する銀河を観測すると、それぞれの銀河の質量から想定される重力と、銀河の回転から想定される遠心力が釣り合いません。正確に言うと、銀河の中心部分も周縁部分も、同様の角速度で回転していますが、これでは遠心力が重力に優って、銀河はバラバラに分解するはずなのです。我々自身の銀河系(天の川銀河)も例外ではありません。
このような観測事象を解釈する仮説は2つ考えられます。
1.重力の法則が破れている
2.観測される物質(星やガス)以外に、重力を作る質量がある
2の仮説に沿って考案されたのがダークマター。ダークマターの質量が作る重力が加わるから、遠心力との釣り合いがとれ、銀河は分解しない、という仮説です。ただし、これまでのところはダークマターの実体は、天の川銀河においてすら、観測されていません。観測されない理由として、ダークマターはニュートリノと同じく、電磁波との相互作用がない物質である、と説明されています。
ただし、光速に近い速度で運動するニュートリノは、局所的に存在するダークマターではありえません。いわば、質量のある(それも遠心力に打ち勝つほどの質量がある)ニュートリノ的存在が想定されているわけです。でも、そんな物質の存在は、実験室でも観測例がありません。
それでもダークマターが信じられる理由は、これを想定しないと重力の法則が破れているというしかなくなるからです。それよりは、ダークマターの方が、より現実的と考えられるわけです。
こう言えば、現在のダークマターは、かつてのFitsと同じ立場に置かれていることが分るでしょう。ダークマターもFitsも観測事例はない。しかしそれがあることにしないと、より基本的な物理法則が破れていると言わねばならない。
基本的な物理法則の破れがありえないとは断言できません。現実に、2重スリット実験でニュートン力学と矛盾する波動の存在が確認されたのですから。しかし、基本法則と矛盾しない代案がある場合には、代案を優先するのが、合理的なのです。たとえ、その代案が、Fitsやダークマターのように、観測事例がなくてもです。
18世紀に光波動説を光粒子説よりも支持した人は、現在、ダークマターがあるというよりも、重力の法則が破れていると主張する人と、同じレベルの合理性をもっていたことになります。
516
:
Ken
:2025/08/24(日) 11:31:35 HOST:KD059132255132.au-net.ne.jp
問題は、エーテルが力学的にありえないにも関わらず、なお光波動説を支持する理由があったのか、です。2重スリット実験が、その強い理由になったことは分かっている。生成される縞模様の形を波動理論に従って予測できるとなると、光粒子説では説明不可能なのですから。でも18世紀までの観測事象はどうでしょうか? 光波動説が根拠とした事象は列挙しました。光粒子説で、これらを説明できたでしょうか?
(1) 光同士が交差する
(2) グリマルディが観測した同心円
(3) ニュートン環
(4) 光速度が一定
(5) 複屈折
2種類の光粒子を想定するFitsで説明されるのは、(2)(3)(5)ですね。(2)と(3)は、波の回折と干渉が観測されていたのだと、後世になって理解されましたが、18世紀の人はそれに「うっかりと」気づかなかったのではありません。光が障害物の背後に回り込まないことと、2つの光源の光を重ねても縞模様が現れないことから、回折も干渉も光では起こらないと考えられました。それなら(2)と(3)は波動説とは異なる解釈が必要で、そのために光粒子のFitsが考えられたのです。
(1)については旧掲示板で語りました。光粒子の密度が小さければ、衝突は非常に稀であること。また、仮に衝突が起こっても、結果的に生じる映像の乱れが、人間の識別能力より小さいなら、衝突したことは分かりません。類似例として、戦場を飛び交う弾丸同士の衝突が、非常に起こりにくく、起こっても観測できないことも、述べました。
(4)については、粒子が大きさにも質量にも依存せず同じ速度で動くことは実例があります。紀元前以来、質量の異なる物体は異なる速度で落ちると信じられてきたのが誤りで、みな同じ速度をもつと示したのはガリレオでした。加速の原理が同じだからで、もし光粒子も同様の原理で加速されるなら、同じ速度になるでしょう。むろん、加速原理が同じという証明はありませんが、同じではないことを示す観測事象もありません。
結局、Fitsや加速原理のように、それを観測する技術が無く、肯定・否定どちらの結論も出せない仮説と、空間の弾性と密度のように観測が可能で、観測によって否定される仮説が存在する時、後者を採用するロジックを構築することができないことが問題の本質なのです。この問題があるから、光波動説は論理ではなく心理的に支持されたと、AIは述べたのです。
支持したくなる心理は理解できます。光の縞模様が波の縞模様を連想させるのだから、光は波と思いたくなるに違いありません。しかし、より重要な点を考えれば、その仮説は否定されねばなりません。これも類似例を出しましょう。
水中を泳ぐイルカを見れば、誰もが魚を連想します。空を飛ぶコウモリを見れば、誰もが鳥を連想します。そこから、イルカは魚類でコウモリは鳥類という仮説を立てられます。実際に昔の人はそう考えたことでしょう。
しかし、よく観察すると、イルカもコウモリも卵ではなく子供を出産します。ゆえに、どちらも哺乳類で、系統的には魚や鳥よりも人間に近い動物だと結論されるのです。泳ぐ・飛ぶという特性よりも、胎生という特性の方が、より根源的な分類基準だからです。
では波動の特性は何でしょうか。縞模様を作ることも特性ですが、より根源的な特性は、媒質を伝わる振動という点にあります。18世紀には、これが波動の定義といえるでしょう。
哺乳類の定義は胎生で得た子供を母乳で育てることです。波動の定義は媒質を伝わる振動です。その媒質問題で否定される光波動説を、縞模様や光の交差を根拠に支持するのは、イルカを魚と考えた人が、胎生生物である証拠を見せられてなお、海を泳ぐから魚だと言い張るようなものです。
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