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継続:科学と疑似科学を判別する
479
:
とりあえず
:2025/06/21(土) 22:47:39 HOST:p9d931465.hyognt01.ap.so-net.ne.jp
続き
>>光波動説が一貫してニュートン力学を前提にしていた証拠だとは思いませんか?
単純に使える部分は使うと言う当たり前の事、と言うだけです。
ニュートン力学で説明できない部分もあったと言う事実から目を背けないで下さい。
で、何度も言うがこんなのはどうでもいい。
当時の人間が科学と信じ、科学として議論していたものに今何を言っても無意味です。
現在から見て科学的に間違っていようが当時信じられていたなら、当時に於いて正しかったんです。
間違っていたこと≠非科学 です。
それに、仮に波動説が当時に於いても“非科学の極み”であったとしても、それをもってだから科学的逸脱も許容するべきとはなりません。
単にたまたま科学進歩に寄与したと言う例外的事例の一つになるだけです。何度も言っていますがこう言うことは一般論で考えるべきです。
まぁ、それしかないからそれに必死に縋り付いているんでしょうけど。
宝くじがたまたま当たった事例を持ってきても、皆が宝くじ買ったら大金が手に入るわけではないでしょう?比喩ですが分りますか?
もう二度主張しておきます。
貴方の言う「拘束」は私の言う「真っ当な科学手順の遵守」のことなのです。
ですのでその「拘束」は必要不可欠な要件なのです。
なぜ「拘束」があるのか?これは要するにルール・法です。
このルールが存在することで、私たちは科学活動の秩序を保つことができます。
ルールは私たちの行動を制限する「拘束」である一方で、「ここまではやってよい」「その範囲内では自由に動いてよい」という自由を確保するものでもあるのです。
制約と自由は表裏一体であり、適度な制約が自由を生み出すのです。
何度も言いますが、貴方の言う「自由」は「無法」です。科学の死です。
科学のディストピアです。
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