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継続:科学と疑似科学を判別する
441
:
Ken
:2025/05/18(日) 13:54:38 HOST:softbank126026080234.bbtec.net
>この辺りは個人のスキーマによると何度も言っています。
それでは主観です。
客観的普遍的な合理性を追求しないのなら、それこそ正当な科学的姿勢からの逸脱でしょう。
>単純に引力と斥力のような力があれば良いだけです。
>従わないのはニュートンのそれだけです。質量がないんだから。
・・・・だから、それでは波にならないと言ってるのに。
引力や斥力だけなら、力が釣り合う位置で動きが停止して、それまでなのです。振動が継続するには、力が釣り合っても、そこで停止せずに先へ進み、不均衡状態が再生され、逆向きの力が働かねばなりません。釣り合い位置からの運動を続けるのが「勢い」つまり運動量であり、運動量は質量と速度の積なのですよ。質量がなければ振動は起こりません。
>熱のない光は生物発光もそうです。
当時の技術では観測困難なほど熱量が小さいだけでしょう。強い光は熱も強く、弱い光は熱も弱いのなら、これまた光と熱の因果関係を示す事象ではありませんか。
>光を発しないけど熱を持つのは普通に観測されることです。
頭を整理してください。光が熱を運ぶかを問題にしているので、熱を運ぶのが光だけとは言っておりません。
>エーテル以外のあらゆる存在が要因たり得ます。
具体例を挙げてください。そんなにたくさんあるなら、簡単に挙げられますよね。
>挙げました。本当に読めよ。ちゃんと。
説明を面倒がってはいけません。あなたも私に、何度も同じ説明をさせてきましたよ。
>並行にやるべきです。泣き言はやってから言いなさい。
私の人生で相手にしてきたような人なら、それもよいでしょう。ですが、あなたはそうではない。波動説だけでこれだけ誤解と混乱を生じるのに、粒子説まで加わったら、さらに収拾がつかなくなります。
>16世紀の地動説も、18世紀の光波動説が逸脱と定義するのは勝手ですが、ID論は逸脱の質が異なるから光波動説を逸脱としたところで意味はないと言っています。
>貴方の定義による逸脱では、前者は単に既存の理論や常識に反する概念を仮定に入れたと言うだけです。
既存の理論に反すること自体が問題ではないと言ってるのに・・・・
地動説は1609年にケプラーの法則が現れて支持が拡大しました。光波動説は1801年の2重スリット実験で一気に優位に立ちました。しかし、ケプラーの法則は、恒常的な風が吹かない矛盾を解決していないし、2重スリット実験は媒質問題を解消してません。地動説と波動説は依然として既存の理論に反したままなのです。
それでも、ケプラーの法則によって、天体位置の予測精度で、地動説は天動説に明確な差をつけるようになりました。また2重スリット実験を行うと、スリット間隔等の条件を変えた時、縞模様がどう変化するかを、波動説で予測できることが分かりました。ここで地動説と波動説を優位に置くことに、論理の筋道がついたのですよ。
16世紀の地動説と18世紀の光波動説には、そのような事情がなかった。それなのに優位に置くのは、ロジックの筋が通らないがゆえに、正当な科学の手順を逸脱している、と私は言い続けております。正当な科学の手順とは、なによりも合理性の追求です。あなたがおっしゃる「根拠バトル」は研究者が傾けた努力の量を問題にされるようですが、どれほど努力しようが、合理性を無視した結論を出すのでは、根拠バトルとはいえません。
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